「1年で潰れる」と言われて「日刊ゲンダイ」は50年…寺田俊治社長が激白 最大の売り“激烈な一面見出し”は「私が1人で付けています」

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若手が能登半島地震の現場に

 ここ数年のマルチな展開には若い記者の育成も欠かせない。「話題の現場 突撃ルポ」というコーナーを作り、社歴の浅い若手を積極的に現場に送り込んでいる。ここで兵庫県知事選投票日直前、斎藤元彦候補を応援する選挙民の異様な盛り上がりを伝えた記事は実に生々しく、臨場感たっぷりの面白さだった。

「あのコーナーは若手をデスクにして、若手だけのグループで回してるんです。きっかけは能登半島地震。記者を現場に行かせたほうがいいのか、デスクが躊躇してたんで、思い切って行かせろと、僕が言ったんだ。危険もあるし、道路も寸断されていて現地に行けるかどうかもわからなかったけど、若手2人で行かせたらいい原稿を書いてくれた。それで、若手たちから、ああいう現場で直撃みたいなのをやりたいというプランが出てきたんです」

一面見出しは社長が

 そうした紙面作りの中心にあるのは、やはり1面から2面にかけての政権与党批判である。私の在職中は、当時社長だった川鍋孝文氏が1面の見出しすべてをペラ(200字詰原稿用紙)にボールペンで書き、ファックスでニュース編集部へ送っていた。私もスポーツへ異動するまで、ファックスを読んでは特集記事を書いたものだ。その手法は今も変わっていない。1面の見出しはすべて寺田社長がひとりで書き、現在はファックスではなくLINEでニュース編集部の記者たちに伝えているという。

「川鍋さんは(食道がんで)亡くなる前年、2014年の暮れから入院されて、僕が代わりに1面の見出しを作るようになりました。当時は社長が下桐(治)さんで、僕は一介の役員だったけど。最初はどう見出しを作っていいのか、わからなくてね。川鍋さんのいる病院にも何度も通って、これはよかったとか、あれはダメだとか、いろいろ教えていただきました」

 10年前に受け継がれたその作り方は、夕刊紙というよりも「世界で唯一無二のメディア」を自負する日刊ゲンダイが、半世紀に渡って続けてきた伝統でもある。ゲンダイは、その伝統を貫くことで生き残ろうとしているのだ。

前編】では、日刊ゲンダイの持つ、最大の特長について詳述している。

赤坂英一(あかさか・えいいち)
1963年、広島県出身。法政大卒。「失われた甲子園」(講談社)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。他の著書に「すごい!広島カープ」「2番打者論」「プロ野球コンバート論」(すべてPHP研究所)など。日本文藝家協会会員。

デイリー新潮編集部

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