今年こそ「新しい趣味」をみつけるべき理由 落ち着いたらゆっくり…という大きな誤解

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自分をコントロールする管制塔が脆弱になっていないか

 角野隼斗さんというピアニストがいます。角野さんは、プロのピアニストでありながら、東京大学大学院で研究者を目指していたという経歴の持ち主。ショパン国際ピアノコンクールに出場するなど、学問とピアノの二刀流で活躍し、現在は国内外で音楽活動を行っています。彼のように、二つのキャリアをプロレベルで両立している人が世の中には一定数存在します。

 普通の人にしてみれば、「どうしてそんなことができるのか」と疑問に思われることでしょう。しかし、誰だって一朝一夕に二つのキャリアを両立できたわけではありません。睡眠時間を削ってでも、毎日孜々(しし)として学問と芸術に時間を注ぎ、それを何年も続けてきたからこそ、両方の世界でプロレベルに到達できたのです。

 世に出るような人には、もともとの才能はあったのでしょうが、才能だけで物事は成就しません。それなりのレベルを目指そうと思えば、才能に加えて十分な努力が求められます。そうして、その努力をする上できわめて重要なのが、タイムマネジメントです。

 自分自身の頭上に、自分をコントロールする管制塔のようなものを持ち、絶えず自らの時間の使い方を律するということです。管制塔の機能が弱くなると、「会社帰りに、ちょっと一杯飲んで帰ろうか」とか、「まあ、とりあえずテレビでも見よう」とかいうことになります。

 会社の昼休みに食事を終えた後、漫然とさしたる意味もなく、スマホを見続けるというのも、この管制塔の機能が脆弱になっている証拠です。そもそも、会社で忙しく仕事をしているという生活の中でも、業務から外れるところでは、かならず自分の時間を確保する、という「覚悟」を持つことが肝心です。

 この覚悟がないと、自分の時間などあっという間に雲散霧消してしまいます。「何かを始めたい」と考えている人は、その希望を先延ばしにしないことです。「ピアノを習いたい、絵を描きたい」などなど、そういう願いがあるならば、どうか明日からといわず、今日ただいまから趣味を始めるくらいの意気込みを持ってください。

登蓮法師は、万事をなげうってそのことを聞きに走った

『徒然草』の第百八十八段に、つぎのようなことを言ってあります。いまこれを拙著『謹訳徒然草』で読んでみましょうか。

「人がたくさんいるところで、ある者が、『ますほの薄すすき、まそほの薄などと言うことがある。これについては、渡部の聖が、その謂われを知っていると語ったのを、登蓮法師という、その場におった人が、聞いて、ちょうどその時、雨が降っていたゆえ、『こちらに蓑笠がありましょうか。あったら貸して下され。その薄の伝授を受けるために、渡部の聖のところへ尋ねて行きましょうほどに』と言った。その事を聞いて、『なんとせっかちなお人じゃ、雨が止んでから行かれたらよさそうなもの』と、人が言ったところ、『とんでもない事を仰せになるものじゃ、人の命の儚さは、雨の晴れ間を待つまで生きていられるかどうか、知れぬものよ。もしその前に自分も死に、聖も亡くなられでもしたら、いったい誰にそのことを尋ね聞くことができようぞや』と言い言い、走って出ていった。そうして、ついには無事このことを聖に習い申したということを言い伝えているのは、まことに度外れて奇特なことと思ったことだ。『敏(と)きときは則(すなは)ち功(こう)あり(敏速であれば則ち成功する)』と『論語』という書物にも出てござるそうな……」ということが書かれています。

「ますほの薄・まそほの薄」というのは、どちらも同じ語の言い訛りにすぎないのですが、いずれにしても薄の穂先の赤みを帯びた状態を言う、和歌のほうで使う言葉です。そういう歌の道の知識というようなことを知りたいと思った登蓮法師が、万事をなげうってそのことを聞きに走ったという話で、そのくらいつまり人間の命などはいつ突然に果てるともしれないものだから、知りたいことがあったら、余事をなげうってでも、即座に知る努力をしたほうがいい、ということを教えている一条です。

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