ポスト聖子の野望で歌手の道へ… “ド演歌育ち”米良美一が「もののけ姫」を歌うまで
1997年に公開された映画「もののけ姫」。当時の日本映画の興行収入記録を塗り替えたこの作品では、主題歌を歌った米良美一(53)の透き通るような歌声にも注目が集まった。結果、映画が曲の、曲が映画の火付け役となる形でともにヒットした。もともと“ド演歌”育ちという米良が、自身のブレイク前夜を語った。
(全2回の第1回)
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生まれた場所が「もののけの世界」
出身は宮崎県西都市。九州山地の山の中で生まれ育った。天照大神の孫のニニギノミコトが高天原から高千穂峰に降臨したという、古事記や日本書紀にも記される「天孫降臨」伝説が残る地域だ。
「それこそ、もののけの出そうな山深いところでした。昔から伝承神楽のある地域で、神々と人間が上手く調和を取りつつ、畏怖畏敬を持ちながら生きているような場所。音楽でいえば民謡や演歌、純邦楽的なものに自然と親しみを持つような場所でもあって。僕はド演歌で育ったんです」
3歳の頃には二葉百合子の「岸壁の母」を身振り手振りをつけてせりふ入りで歌い、やんやの喝采を浴びていた。会合で披露すると、戦中の思い出もあいまって涙を流す大人からおひねりが飛んでくることも多かった。
「体が弱かった僕のために一生懸命働いてくれた両親が、焼酎を飲みながら嬉しそうにおひねりを拾っていた姿をよく覚えています」
「聖子さん」から西洋、クラシックの匂いを嗅ぎ取る
そんな少年は、小学校の高学年から松田聖子に憧れた。松本隆らの詞の世界が、呉田軽穂(松任谷由実)、財津和夫らの曲に乗り、大村雅朗 や松任谷正隆らのアレンジで届く。 そんな歌の数々に魅了され、先天性骨形成不全症という難病を抱えながらも、描かれる人物たちに自分を重ねて楽しんでいた。生の管弦楽器にギターサウンドなどを合わせた曲調も心地よく、クラシックへとつながる原点にもなっていたという。
「歌の主人公である聖子さんや、その相手に自分がなりきるような妄想を繰り返していました。ド演歌で育ったので、クラシックの英才教育なんてもちろん受けていませんが、まだJ-POPなんて呼び名もなかった頃に聖子さんの曲を聴いて、西洋的なニュアンスを感じ取り、それがクラシックへのニュアンスにもつながったんです」
14歳になったばかりの頃、松田聖子は結婚した。山口百恵のように引退すると思い込んでいたことから「ポスト聖子になろう」と思い立った。「思い込みが強いから」と笑うが、それが歌手を目指す原動力の一つになっていたのも確か。「もののけ姫」に出会うまではその勢いで突っ走っていた、という。
「世間知らずでしたから。そこまでは若さもあったし、現実を分かっていなかったこともあって、突っ走れたんでしょうね。難病に伴う苦労はしてきたけれども、みんなが思春期に経験するような挫折や己を知っていく儀式が何もなかった。いろんな意味で自分に過保護であり、究極のナルシシスト、自己愛性パーソナリティ障害でもあったわけです。その後は現実を知って怖さも出てきたんですけど」
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