「親のうんちをチェックして健康状態の確認を」 色とカタチで何が分かる? 専門家が指南「タブー視はもうやめましょう」
タブー視はやめよ
そんな長寿になった親の健康状態を知るには、うんちをチェックすることが一番だ。前述のように病気の早期発見にもつながる。その場合も、自分の観便で身に付けた習慣に基づいて行動すればよい。
「自分のうんちと同じように親の観便をして、平便を知って、体調の変化を察知し、かかりつけ医に報告しましょう。今行っている治療が適切なのか、処方されている薬が合っているのか、判断する材料になります」
ただし、親の観便は、見る側も、見られる側もハードルが高い。
「多くの人が、自分の親のうんちを見るのはきついと打ち明けます。知り合いの介護士ですら、他人の排泄のお世話は平気なのに親のはきついと話していました。その気持ちは理解できます。僕も自分の子どものおしめを替えるのはなんとも感じないのに、親だと腰が引けます」
子どもは世話をされ、親は世話をしてきた長い歴史がある。立場が入れ替わることに戸惑いを覚えるのは不思議でない。また現実的に大人のうんちは量が多く、においも強い。
「もう、うんちは汚いとタブー視するのはやめましょう。かつてコレラやペストのような感染症で人が死んでいた時代、うんちは感染源でした。しかし、医療環境の整っている今はそれほど恐れる必要はありません。不特定多数が利用する公衆トイレの便座は利用する前に清め、トイレを利用した後に手を洗うことを心がければ、あとはそれほど神経質になる必要はないと僕は思っています」
子どもにうんちを見せられるのか
このような現状を踏まえて、親がまだしっかりしているうち、認知症が始まる前に、家族で今後のための話し合いをしておくべきだ。
「話すタイミングは80代になるくらいでしょう。その人が来年亡くなっても不思議ではない年齢になったころです」
(1)親は子に自分のうんちを見せられるのか。
(2)子は親のうんちを見られるか。
――どちらかが無理だと言う場合、人の助けを借りる手もある。
(3)ホームヘルパーに頼むとしたら、そのお金はあるのか。
(4)介護施設に入るのなら、そのお金はあるのか。
「判断はそれぞれです。わが子に自分のうんちを見られたくない人はいます。その一方で、他人であるヘルパーさんに尻を見られたくない人もいます。概して、男性は若い女性に世話をされるのをいやがり、女性は若い男性に世話をされるのをいやがる。うんちを見せるかどうかは、尊厳の最後のとりでといえるかもしれません」
親には、自分の子に迷惑をかけたくないという意思も働く。本心では世話をしてほしくても、遠慮して言えない親は多い。そのあたりの気持ちも理解してあげるべきだろう。
80代、90代でがんが見つかると……
もちろん、話し合うのはうんちについてだけではない。その機会に「いざ」というときの治療法などにも触れておくべきだ。
「80代、90代でがんが見つかり、病院で勧められるまま手術を受け、体が弱り認知症が進むと、最期の年月を寝たまま過ごすことになります。そのときにあわてて話し合っても、なかなか適切な判断はできません」
手術をするかしないか。突然病院で問われても、冷静な判断は難しい。
「明確な意思のないまま手術を受け、命は助かったものの体の自由を奪われたり、思っていたよりもはるかに高額の医療費がかかったりすると、納得できません。こんなにみんなに迷惑をかけることになるとは、と苦しんで暮らし、怒ったり、泣いたり、病院にクレームを言ったりします。判断を巡り家族関係にひびが入ることもあるでしょう。そのときにならないと分からないものの、僕自身が80歳を過ぎて末期がんだと分かったら、延命治療よりも残りの時間を充実させる選択をするかもしれません」
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