「司葉子」や「香港のトップ女優」ともロマンスが噂され…永遠の二枚目「宝田明」さんが演技力の凄さに感嘆した「一番の女優」とは
20秒程度のシーンで「宝田君、違うよ」
《宝田は、昭和35(1960)年5月の「娘・妻・母」で伝説の美女・原節子と共演している》
原さんの映画は、僕も日本に引き揚げてから何本も見てました。共演したときには僕は20代半ばです。本当にお綺麗な方。この映画は甲府でロケしたのですが、僕は夜になると旅館で共演者の淡路恵子や他の男優さんと、トランプでブラックジャックをやって遊んでいた。
あるとき、浴衣姿の原さんが、お銚子2本をぶら下げて僕らの部屋の前の廊下を通りかかった。原さんは、結髪(けっぱつ)のおばちゃんと奥の部屋でチビチビやっていて、お銚子が空くと自分で取りに行っていたんです。それで、「皆さん、何やってるの?」と声を掛けられて。僕らは、お金を賭けてやっていた。すると原さんも、「私もそこに1万円儲けといて」というわけです。適当なのに、それが当って、お金を持って部屋へいくと、また賭けてと。結局、5万円くらい持っていきました。
《数々の女優と共演した宝田氏が、最も演技が凄いと感心した女優は誰か》
それは高峰秀子さんです。僕も「二十四の瞳」(1954年)を映画館で見て、喉が詰まって死にそうになるくらい泣いた。そういう人と林芙美子原作の「放浪記」(1962年)で共演した。夢みたいな話なわけですよ。
僕の役は、高峰さんが演じる芙美子の3番目の夫で、売れない作家。妻の方が売れ出したある日、私が原稿を書いているところに妻が、「夕飯の支度をしましょうね」と言う。夫はそれが気に入らなくて彼女を睨む、という20秒くらいのシーンがあった。
監督は成瀬巳喜男さん。まず撮影の前にテストをする。朝9時半にスタートしたのですが、僕の演技に成瀬監督が、「宝田君、違うよ」と言ってやり直しになった。それが何度やってもダメ。その度に、高峰さんが何度も上がったり下がったりする。昼の休憩を挟んで、ついには午後5時になって、明日にしようとなった。
「もったいなくて教えてあげないわ」
セリフのないシーンで、僕にはどこが違うのか全くわからない。心優しき成瀬さんは、良ければ「いいね」と言うが、違うときには何も言ってくれない。
次の日になっても、やっぱり成瀬さんは「違う」と言う。もう100回くらいはテストしている。その間、高峰さんは何も言わず黙って演技を繰り返す。それで僕はとうとう、「高峰さん、すみませんが、どう違うか教えていただけませんか」とお願いしたわけです。ところが、高峰さんの返事は「わかっているけど、もったいなくて教えてあげないわ」です。
僕はその言葉にカーッときて、明日辞めてやるとムカムカしていた。それで監督に、一度フィルム回してもらえませんかとお願いした。ふと気づくと「カット」となって、成瀬さんから「宝田君、それでいいんだよ。それだよ」と言われたのです。今でも、どこがよかったのかわからない。
この作品の私の役は、その年、批評家から一番褒められました。後年、あの時教わっていたら、今の自分はなかったと思いました。高峰さんは、自分で這い上がってこなきゃダメだよ、と激励のつもりで言ったのでしょう。
後輩を突き放す女優に、セリフもない20秒のシーンを撮るのに1日半も粘る監督。今の映画界では考えられないことです。これまで数々の女優さんと共演してきましたが、高峰さんが一番の女優だと思いました。
***
スターの座に甘えることなく、作品ごとに演技者としての鍛錬を続けていた宝田さん。第1回【美空ひばりから「お兄ちゃん、うちに遊びに来て」 昭和のスタア「宝田明さん」が生前に語った華麗なる交遊録…江利チエミが恋に落ちた高倉健の“仮病”】では、友人だった美空ひばりと江利チエミについて、その素顔を語っている。
[3/3ページ]