工藤公康が監督をして気付いた「部下に信頼されるコツ」 声を荒らげて叱った“手痛い失敗”から学んだ「選手との向き合い方」とは
ソフトバンクホークスの監督として7年で5度の日本一に導いた工藤公康氏(61)。華々しい結果の裏には、プロ野球監督を“中間管理職”として捉えたチームマネジメントがあった。部下との関係に悩む会社員にも役立つ、リーダーとしてのコミュニケーションとは。【工藤公康/元福岡ソフトバンクホークス監督】
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2015年から21年までの7年間、私が監督を務めていた福岡ソフトバンクホークスは3度のリーグ優勝を果たし、クライマックスシリーズから勝ち上がった年も含めて5度の日本一を経験しました。7年間で5度の日本一ですから、一見すれば監督としては“合格点”かもしれません。ところが私自身はというと、リーダーとして「これでいいのか?」と自問自答する日々の連続でした。
〈そう胸中を打ち明けるのは、ホークス元監督の工藤公康氏だ。
11年に48歳で現役引退を表明するまで、29年に及ぶ投手生活の中で14度のリーグ優勝と11度の日本一に貢献。「優勝請負人」との異名もとった氏が古巣・ホークスの監督に就任するのは、ある種の「必然」だった。
そんな工藤氏を悩ませた「指揮官の在り方」という問題。導き出された結論は、一般社会を生きるわれわれにも大いに参考になるものかもしれない。〉
10連覇は絵空事?
プロ野球の監督とはどうあるべきなのか――。この“問い”に最初に直面したのは、ホークスの監督就任が決まり、オーナーである孫正義さんにあいさつに行った際です。孫さんがそこで私に告げたのは「10連覇できるチームを作ってほしい」ということでした。
プロ野球における連覇記録は1965年から73年まで日本一に輝いた、読売巨人軍の9連覇が最高。いわゆる「V9」で、川上哲治監督の下、長嶋茂雄さんや王貞治さんらスター選手を擁していた時代の伝説的な記録がいまだに破られていません。当時に比べ、球界全体のレベルが上がり、ドラフト制度が取り入れられた現代に、V9を超えるV10は、到底、達成が不可能な絵空事にも聞こえます。
実際、監督就任1年目のシーズンこそ、ホークスはパ・リーグ優勝、日本シリーズ制覇を果たしましたが、翌16年はシーズン中盤に失速し、北海道日本ハムファイターズに逆転を許してリーグ2位。クライマックスシリーズも敗退し、10連覇は早くも一から出直しになってしまいました。
一体、10連覇できるチームとはどのようなチームなのか。前年に比べて力が落ちたわけではないのに勝てなかったということは、自分に問題があるのではないか。そう考えて、私は改めて監督のあるべき姿について分析を始めたのです。
まず手をつけたのは「組織図」
私が最初に手をつけたのは「組織図」を書くことでした。ホークスという球団の中で、監督はどのような立場にいて、何ができるポジションなのか。それを、組織図に沿ってゼロから考え直したのです。
組織図のトップにいるのは当然、オーナーの孫さんです。その直下に王貞治会長が控えており、その次に球団社長がいます。その次にGMがきて、その次にようやく出てくるのが1軍監督と、ドラフトやFAなどでチームを補強する編成部長です。その下にはさらにヘッドコーチや2軍監督、3軍監督などが続きます。
監督就任当初は「工藤の方針が球団の方針」などと言われましたし、世間一般のイメージでも監督には絶大な権限があるように見える。ところが、組織図を書いて分かったのは、監督とは「絶対的なリーダー」でも「大きな組織を率いる長」でもない、単なる“中間管理職”だという事実でした。一般的な会社で言えば、すぐ上に部長が、下には係長が控えている「課長」といったところでしょうか。
監督は球団上層部の要望に応えながら、現場でプレーする選手を育てていかなくてはならない。両者の間に入って、実情にそぐわない点については再度調整をする。1軍監督の仕事とは、上司であるGMのもと、部下であるコーチや選手らと協力しながら勝つチーム作りをすることなのです。
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