「本物はもの欲しそうな顔をしていない」…細川護熙さんが明かした「白洲正子」の言葉首相辞任後に届いた手紙の中身とは
母にも近い存在だった
《細川氏が再び国政に戻り、平成5年(1993)に総理大臣となって以降、2人のやり取りは手紙が中心となった。だが、その縁は正子が没するまで続いたという》
最後にお会いしたのはいつだったか。ただ、平成6(1994)年4月に総理を辞めた後、何度か武相荘を訪ね、茶飲み話をした記憶があります。退陣直後に手紙も頂きましたが、内容は友枝喜久夫さん(喜多流の能楽師)の舞台のお話。やはり、政治のことは話しませんでした。
白洲正子さんは私が人生の中でいろいろと影響を受けた方のお一人。母にも近い存在でした。いま、私は湯河原でろくろを回し、田畑を耕して、晴耕雨読の日々を送っていますが、時々、正子さんが生きていらしたらな、と思うことがあります。
「熙ちゃん、行くわよ」と言って来てくだされば、こちらのモノを見る眼がいくらか成長した分、きっと前より話に華が咲いたでしよう。まぁ、正子さんのことだから、良い焼き物などはちゃっかりバッグに入れて、「これ、頂いたわよ」ということになりそうですが。
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母にも近い存在だった正子さん。だが、祖父の家で出会ったときは「魔法使いのおばさん」だった――。第1回【「細川護熙」元総理が語った「白洲正子」の素顔 “魔法使いのおばさん”は祖父に「トノサマ、あれはニセモノでしょう」と迫った】では、護熙さんの祖父に芸術のてほどきを受けていた頃の正子さんが見せた“大胆さ”についても語っている。
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