初の“ライバル”起用に大所帯の防衛チーム…革新的だった「ウルトラマンガイア」はなぜ今もファンを惹きつけるのか

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制作とフィードバック

 ガイアが放送された1998~99年は“世紀末”が目前の時期だった。ストーリーにもそうした時代性が取り込まれた。97年に温暖化に対する国際的な取り組み「京都議定書」が採択されたこともあり、環境問題に関連するストーリーもある。八木監督は、シリーズ構成を担った小中千昭氏の手腕を指摘する。

「小中さんは全容をまとめつつ、あまり先走って(話を)作らない。役者を見て、出来上がったドラマの演出を見てフィードバックする。テレビは時代性がすごく重要だから、世の中がどうなっているか、なるべく現実と遊離していないのが良い。その点、『ガイア』はすごくうまくできている」

 CG(コンピューターグラフィックス)はまだまだ進化中で、ミニチュア撮影が全盛だった。吉岡はそこにスタッフの職人気質を見たそうだ。職人が揃っていたからこそ、信頼して、ナパーム弾を使った危険な撮影にも挑めた。マグマ怪地底獣「ギール」の腹部からの攻撃を避けながら逃げるシーンで用いられたそうだ。

「第2話でした。本番1発撮りですから、絶対止まらず駆け抜けてくれ、と言われた。ヘルメットをかぶっていたけど、熱風と音がすごくて、本当に必死に逃げてるんです、あれは」(吉岡)

役に入り込んで迎えた最終回

 八木監督が、初の監督(村石宏實監督と共同名義)を務めたのが、最終三部作の一作目「天使降臨」(第49話)だった。その最終三部作をもって、ティガから続いてきた平成ウルトラマンシリーズは一旦、終了することになった。吉岡の意識は、我夢そのものだったそうだ。

「ガイアが終わるというより、(最後の敵の)ゾグをホントに倒さなきゃ、みたいな気持ちでした。危機をどう乗り越えるか、と。最終カット撮影の朝にやっと終わりを意識しました。本当にあの頃は、吉岡というよりも高山我夢で現場にいたように思います」

 放送終了から25年が経っても、ガイアに対する熱は高い。

「自分の人生においては、あの作品が完全に分岐点ですね。ウルトラマンになってからの方が長くなっちゃいました(笑)。1年間、一人の人間として本当に成長させてもらった。周りは大人ばっかりで、それこそすごい光をもらった」(吉岡)

「ティガ、ダイナ、ガイアの経験を超えるのは、もう日本では無理かもしれないっていうぐらいのことをやった。あの3作品はすべての“大前提”であり、“基準”。出演者やスタッフにインタビューしてまとめるガイア関連本の発行を計画中です」(八木監督)

 かつてはある程度の年齢になると特撮作品から“卒業”していたが、今や大人も楽しめることが一般的になった。

「堂々とファンでいることを公言できる時代が来たのはすごい。しかも中国のファンも多くて。5年に1度の周年イベントもありますが、亡くなった方もいるので、集まれるだけ集まりたい。あんまり“おじさん我夢”や“おじさん藤宮”にならないようにファンの前に出ていくっていう意識は、僕も八誠も持っていますね」

 シリーズ屈指の大河作品を、主演や監督らが今後も自ら発信することで、ファンは世代を超えて応援を続けることができている。

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 第1回【「ウルトラマンガイア」放送25年 前作の“女の子走り”のせいで…ボルト入りの足で坂道疾走!“高山我夢”が明かす秘話】では、「ガイア」オーディション秘話、そして歴史あるシリーズの主役の重みに記者会見で気付かされたことなどを、吉岡が振り返っている。

デイリー新潮編集部

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