共産党に入党するも除名され読売新聞に… 渡辺恒雄氏が“独裁者”として君臨するまでの道のりを追う

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濃密な98年の人生

【全2回(前編/後編)の前編】「これだけ勉強家で、努力家で、原稿を書ける人はいない」「渡辺さんを『偉大』とは言わない」 渡辺恒雄氏の知られざる素顔とは

 亡くなるまで主筆として読売新聞に君臨して社論を司り、政界にも絶大な影響力を及ぼし続ける。こんな人物はもう二度と現れないだろう。「ナベツネ」こと渡辺恒雄・読売新聞グループ本社代表取締役主筆。独裁者、ジャーナリスト――。どちらが本当の顔だったのか。

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 98年にわたるその人生は、一本の長編映画として十分に成立し得るほど濃密なものだった。2024年12月19日、肺炎のため死去した読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄氏。「ナベツネ」の通称で知られ、政治、マスコミ、野球など幅広い業界に大きな影響力を誇った。尊大さを隠さず、強引に物事を進めようとする独善的な姿勢には批判もついて回ったが、極めてスケールの大きい人物であったことには疑いの余地はなかろう。

入隊した渡辺氏の心のよりどころ

 その一生をもし映画にするなら、冒頭で彼の原点が描かれるはずだ。

 渡辺氏が日本軍からの召集令状、いわゆる赤紙を受け取ったのは1945年6月29日。東京帝国大学(現東京大)文学部哲学科に入学して2カ月余りがたった頃だった。死を覚悟して入隊した彼は兵舎に3冊の本を持ち込んだ。心のよりどころにしたのはそのうちの一冊、カントの『実践理性批判』の次の一節だ。

〈一生を考えて、いまだに敬意を表しているものが二つある。一つはわが上なる星の輝く空、一つはわが内なる道徳律である〉

 2020年に放送された、NHKによるロングインタビューをまとめた本『独占告白 渡辺恒雄 戦後政治はこうして作られた』(新潮社刊)にはこうある。

〈道徳律というものは、人間にとって最高の価値ですよ。(中略)『自分の人格的価値は誰にも分からない、俺一人のものである』『この道徳的価値というものは、軍隊で弾飛んでこようと上官にぶん殴られようと、傷つけることはできない俺のものだ』という一つの哲学があったからね。それで死に抵抗するわけだ。哲学・思想的に死にいかに耐えるかが問題だった〉

〈学者の道は閉ざされた〉〈しかし書くことは好きなんだ〉

 しかし入隊から1カ月ほどが過ぎた8月15日に終戦を迎え、渡辺氏は死を免れた。大学に復学した後、反戦の考えと天皇制への疑問から、日本共産党に入党。しかしやがて党本部と対立するようになり、2年ほどで除名処分に。東大大学院を中退し、読売新聞社に入社したのは50年、24歳の時だった。

〈学者の道は閉ざされた。自分よりも頭のいいのがいるから。/しかし書くことは好きなんだ。物を書いて食える商売は何だろうと考えると、新聞記者しかないんだよ。それで『ジャーナリズムもこれを高度に発展させれば哲学だ』と変な理屈を言って、新聞社の面接を受けた〉(同書)

「読売ウィークリー」誌を経て政治部配属となったのは26歳の時。政治記者として頭角を現すのは、衆議院議長や自民党副総裁を務めた重鎮、大野伴睦氏の寵愛を受けるようになったのがきっかけだった。

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