「舞台裏で男性歌手とすれ違っても敵意をむき出しに」 水前寺清子が明かす“バチバチ時代”の紅白歌合戦と、美空ひばりとの“確執”の真相
「司会を辞退する」と女性週刊誌に電話で抗議
73年には3度目の紅組司会の話をいただきましたが、私が紅組司会を務めることを巡って、この「事前報道」がさらに過熱。「チータがNHKと裏交渉をして密約を結んだ」とか「直前に別の歌手から水前寺に差し替えられた」とか、あることないことを書かれて、私自身も女性週刊誌の編集部に深夜、「こんなことばかりを書かれるなら司会を辞退する」と泣きながら電話するなど、異例の事態となってしまいました。
結局、時間が解決してくれ、年末には騒動が沈静化。私は無事、紅白の舞台に紅組司会として立つことができました。一時はどうなることかと私自身もヒヤヒヤしましたが、それだけ紅白が歌手にとっても日本人にとっても大きなお祭りだったということなのでしょう。
「父に話せばもう少し長生きしてくれたかもしれないけど……」
紅白の司会は通算4回、務めさせていただきましたが、念願の「トリ」を歌わせていただいたのは83年になってからでした。でも、実は長らく病床にいた父がこの年の11月に亡くなったんです。トリの内定は事前にNHKから教えてもらっていましたが、それは家族にも漏らしてはいけないのがルールでした。
確かに父に「今年の紅白はトリを務めるよ」と話せば、もう少し長生きしてくれたかもしれません。父にも観てほしかったと後になって心残りもありますが、決まりは決まりですから後悔はしていません。
記者たちが大笑い
22年も連続で出場させていただいた紅白ですが「いつでも私の代わりになる歌手がいれば交代する」と思っていましたから、出場できるか不安に感じたことは一度もありませんでした。ただ、87年に落選が伝えられて実際に「出場できない」という現実に直面したときには、やっぱり寂しい気持ちにはなりましたね。
落選が決まった後、記者さんたちが駆け付けてくれたのですが、ちょうどそのとき私がレコーディングしていたのが「今日から一歩」という新曲。私の境遇とあまりにも一致したタイトルに、集まった記者さんたちも大笑いでした。
でも、そのタイトル通り、一歩ずつ歩みを続け、2024年10月にはデビュー60周年を迎えることができました。60年の歌手生活の中ではいろいろなことがありましたが、なかでも紅白歌合戦は、今でも色あせない思い出です。
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