山谷で「500円売春」…身寄りのない女性たちに「終の棲家」を 「きぼうのいえ」創設者が書いた「孫正義」への手紙
「もともと僕は哲学青年」
山谷では「500円売春」といって、身体を売るホームレスの女性がいたが、身寄りがないのであれば、彼女たちの終の棲家になるような場所もつくりたい。「きぼうのいえ」でも、入所者たちの部屋を回って励ましてきた。糖尿病で両足を切断した高齢男性には「今日のワンポイントレッスンですよ」として、こんな話をしていた。
「東条英機さん知ってますよね。戦争犯罪人で死刑になりましたけど、その 前夜にこんな辞世の句を詠んでいるんです。『さらばなり 有為の奥山けふ越えて 弥陀のみもとに 往くぞうれしき』って。皆さんさようなら、きょう東条は娑婆を離れ死んでいくが、阿弥陀仏の極楽浄土へ参らせていただける。なんと幸せ者かって言うんです。それで平然と13階段を上がっていったんですって。往くぞうれしき、ですよ。凄いですねえ。そんな心境になれたらいいですね」
アルコール依存症の入所者には「ああ晩酌楽しいな。アルコール生活 きぼうのいえ」と書いて渡し、酒を断った人には「さわやかな ノンアルコール生活 きぼうのいえ」と詠んで渡した。そんな独自のメンタルケアといい、「救いたい」という気持ちのルーツを訊くと、こんな話をしていた。
「もともと僕は哲学青年で、『人生は不可解なり』と書き残して華厳の滝に投身自殺した藤村操さんという明治時代の学生のような感じだったんです。でも、ギリシャ哲学だ、ドイツ観念論だ、と勉強しても、人生の指針になるようなものはどこにもない。どうしたらいいんだぁって頭を抱えているときに、たまたまキリスト教会ってとこに出合った。礼拝で、三位一体とか言ってて、何言ってるんだと思ったんだけど、イエス・キリストは人を助けて助けて助けて助けて助けた挙げ句、十字架に磔にされて死んだ人なんだと知った。ああ、こういう人を自分の中のひとつの基準にできないだろうかと思って、洗礼を受けました。21歳でした」
両親はキリスト教とは全くの無縁で、普通の公務員だったため驚かれたが、慶應の通信教育課程の卒業を待たずに修道院入り。神父になるには、上智大の神学部を出ていないとなれないと聞いて代ゼミで猛勉強して28歳のときに合格。しかし、神父は結婚しない。そういう生き方に自信が持てずに断念してしまった。女性が大好きだったからだ。それでも、国立がん研究センターの小児科でボランティアをしたり、小児がんなど難病の子どもや家族を支援する特定非営利活動法人「ファミリーハウス」で事務局長を11年勤め たりなどして、「きぼうのいえ」へ。そこを追放された現在も、その志は消えてはいない。
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第4回では、“逆縁”の世界に絶望した山本氏が「きぼうのいえ」を作った理由を語る。
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