ポピュリズムもSNSも「1930年代初頭」にそっくり “特効薬”を求めてしまう時代の怖さ

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歴史に学ぶSNSの怖さ

 話をもとに戻すと、2024年の選挙はSNSが力をもつことが多かった。トランプ氏が既存メディアの報道をフェイクと決めつけ、みずからの言葉をSNSで発信し続けたのは周知のとおりだが、日本でも既存のオールドメディアは情報操作されており、SNSにこそ真実があるような言説がまかり通った。

 むろん、SNSに流される情報のなかにも客観的で、真理がふくまれたものはある。しかし、情報の中身は発信者に任されているため、基本的に玉石混交であり、「玉」と「石」を区別するすべは、受信する側にはほとんどない。受け手がそのことを認識していればいいが、思い込みや憶測にもとづく情報も、意図的に虚偽をもっともらしく装った情報も、真に受ける人が多いという現状である。それではSNSは、ある意味、選挙における暴力装置として作用してしまう。

 歴史を振り返っても、プロパガンダはあたらしいメディアを媒介して大衆のあいだに浸透していった。日本においては、前述のとおり不景気に対する特効薬として期待された満州事変からはじまっている。

 動員される兵士の数が増え、その安否を気にする人が多くなると、戦場の様子を伝える新聞記事の需要が高まり、記事作成に軍部が協力することでプロパガンダが形成されていった。 1925年に放送が開始されたラジオも、その点で重要な役割を果たした。そして、新聞社もラジオ局も軍部に忖度し、次第に軍部にとって都合がいい情報しか流さなくなり、いまのSNSのように真偽不明の情報があふれることになった。

ナチスのプロパガンダとの共通点

 ところで、2024年に目立ったのは、選挙前だけでなくそれ以外の時期もそうだが、SNSに流される政治がらみの情報に、仮想敵がもうけられているケースだった。自民党総裁選でも、兵庫県知事選でも、国民民主党による103万円の壁をめぐる攻防でも、ある一方を「正義」として全面的に持ち上げ、それに反する声を徹底的にたたくという姿勢が目につくことが多かったし、いまも多い。

 だが、こうして仮想敵をつくって情報を拡散する手法は、「ウソも100回いえば真実となる」と語ったとされるナチス・ドイツの宣伝相、ヨーゼフ・ゲッペルスの手法と重なる。 この人物はヒトラーの意を受けて新聞、ラジオ、映画を駆使し、ひとつの主義や思想を大衆に浸透させた。具体的にはドイツ人に選民思想を植えつけ、ユダヤ人の廃絶に同意する方向に導いた。

 日本においても、ドイツにおいても、1930年代から敗戦にいたるまで、メディアが客観的な事実を報じなかったという反省の上に立ち、戦後はメディアの公共性や中立性、客観性を担保するように努めてきたはずである。 ところがここにきて、だれもが無料で参加できながら、情報の内容に関しては公共性も中立性も客観性も保証されないSNSというメディアが力をもってしまった。

 しかも、それが特効薬のない経済政策に特効薬を求める世論と相性がいいので、なおさら怖い。くらべるほどに1930年代初頭の状況とそっくりである。はたして、刹那的に所得が増えることを強く望み、SNSに流される真偽不明の情報をそのまま信じてしまうような人たちが、この「怖さ」を認識してくれるだろうか。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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