橋田壽賀子さんの「大豪邸」を買ったのは“ヤリ手実業家”だった! 「“泉ピン子さんから申し出があったので諦めて”と電話が…」 本人が購入の経緯を明かす

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「泉ピン子さんから申し出があったので諦めて」

 母屋とゲストハウス一式での購入が条件だったといい、即決した大木氏の審査は着々と進んでいるかに見えた。少なくとも大木氏はそう感じていたのだが、

「あれは、たしか申し込んでから一月ほどした頃。財団から電話があり『泉ピン子さん(77)から申し出があったので、すみませんが諦めてください』と」(大木氏)

 なんと、あのピン子が割って入ってきたというのだ。

「僕は熱狂的なファンではありませんが、『おしん』や『渡鬼』は観ていました。“橋田ファミリー”のピン子さんが買いたいと言うなら仕方ない、と一度は諦め、別の物件を探すことにしたのです」(同)

 橋田作品の常連として、かつてピン子はファミリーの中心だった。「ママ」と慕った橋田さんを追って熱海に移り住むほどの、公私にわたる親交の深さでも知られた。その彼女が、旧橋田邸の購入に名乗りを上げたという。ちなみに最近のピン子は財団、とりわけ石井氏との確執が取り沙汰されている。

「石井さんがプロデューサーを務め、昨年4月に放送された橋田さんの追悼ドラマに『渡鬼』メンバーが多数出演するなか、ピン子さんはキャスティングされなかったことが話題になりました」(先の芸能記者)

 橋田ファミリーの事情を大木氏は知る由もないが、しばらくすると再び不動産業者から連絡が入った。

「理由は知りませんが、ピン子さんが断念したそうで『大木さん、もう一度どうですか?』と。その後はとんとん拍子で話が進み、6月に契約が成立しました」(大木氏)

 ピン子に購入を試みた件について取材を申し込むも回答は得られず、財団は、

〈個別の件についてはお答え致しかねます〉

 と回答するのみだった。

母屋は跡形もなく解体

 結局、コトの真偽は不明だが、ともあれ旧橋田邸の家主になった大木氏。「これも何かの縁」と、冨士霊園に赴き橋田さんの文学碑に手を合わせたそうだ。また、土地の広さのわりに格安だったというが、

「とくに築50年近い母屋の老朽化が激しく、屋内に入るとよろけるぐらい、土台から傾いていました。地震でも起きて倒壊すれば、斜面の下に位置するゲストハウスも巻き込まれる恐れがあったため解体するしかなく、母屋の解体やゲストハウスの改修・内装工事に5000万円近くかかりました」(大木氏)

 昨年夏に始まった母屋の解体工事は同年12月に完了し、現在は駐車場に様変わりしている。そう、橋田さんが数々の名作を執筆した母屋はすでに跡形も無くなっていたのである。彼女が愛用した多くの家財道具も処分せざるを得なかったというが、

「ゲストハウスに残っていたデスクはそのまま使っています。それから、橋田さんのご趣味だと思われる、メルヘンチックな寝室のクローゼットもそのまま。そうそう、庭の果樹に大きなゆずが実ったので、この間、カットしてお風呂に浮かべました」(同)

 生前、橋田さんが収穫を楽しんだ“鬼ゆず”である。外壁は空色からシックな暗い藍色に替わり、新たにウッドデッキが備え付けられた。変わった部分も多いが、そこかしこに橋田さんの名残りがあるそうで、大木氏はこの年末もここで過ごす予定だ。

 ピン子も登場する“ドラマ”を経て、旧橋田邸は今風の別荘へと変身を遂げたのだった。

週刊新潮 2024年12月26日号掲載

特集「橋田壽賀子さんの熱海『大豪邸』を買った男の正体」より

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