「世界のミフネ」と「石原裕次郎」が取っ組み合いの喧嘩に…超大作「黒部の太陽」撮影秘話 昭和の大スターが涙した理由
スター2人が取っ組み合いの喧嘩
当時、ロケは愛知県の豊橋市で行い、俳優やスタッフは地元の旅館に泊まりこんでいた。ある日、旅館で宴会を行っていた時のこと。
「裕次郎さんを囲んで皆でワイワイ飲んでいるところに、三船さんが姿を現した。幾分酔っているようで、また愚痴をこぼし始めた。裕次郎さんも、あまりに聞き分けのない三船さんを持て余していたのですが、『もうやってられない』という三船さんの言葉が飛びだした瞬間に、裕次郎さんの堪忍袋の緒が切れて、いつの間にか2人は取っ組み合いの喧嘩を始めたのです。
裕次郎さんが三船さんの襟を掴み、首を押さえ込まんばかりで我々も驚いた。慌てて2人の間に割って入ったのですが、その時、裕次郎さんの顏を見ると泣いていた。声には出していないが、耐え難い気持ちが涙になったのです」
四面楚歌の状態で撮影をスタートさせただけに、裕次郎にしてみれば、何としてでも映画を成功させたいという思いが強かったのだ。
サングラスの間から涙がスーッと
昭和43年2月、日比谷映画館で封切られた日の朝、辺りは雪景色だった。客足が心配された。
「裕次郎さんの愛車のベンツに乗って日比谷に向かいました。映画館の前には、すでに大勢の人がいた。ボクは裕次郎さんに言われ、車を降りて様子を見に行った。急ぎ戻ってくると『どうだった?』と聞かれた。
ボクは『お客さんは長蛇の列で、すでに2回目の上映のお客さんまで並んでいます』と息せき切って伝えました。すると、裕次郎さんは急に黙り込みました。そのとき、顔を覗くと、サングラスの間から涙がスーッと流れ落ちたのです」
裕次郎が見せた2度の涙は、今でも忘れ難い思い出であるという。