神木隆之介の「1人2役」すら、大いなるどんでん返しへの“伏線”だった 「海に眠るダイヤモンド」の仕掛けに驚嘆
カタルシスも爽快に
つまり、鉄平と玲央が瓜二つだと思ったのはいづみの想像で、そんなに似ていなかった。視聴者はいづみや、遺された日記を読んだ玲央が想像する鉄平をずっと見てきたのだった。同じ俳優が演じていたのだからそっくりなのは当然で、ならば隠れた血縁関係もあるのかと思えばさにあらず。最終回のこの瞬間まで、玲央も視聴者も本物の鉄平の顔は見たことがなかった。残っていた写真にも、賢将や百合子は写っていたが鉄平はいなかったのも、このどんでん返しのためだった。2人の主人公に同じ俳優をあてたことすら、最終回まで引っ張っての伏線にしてしまう野木氏の手腕に感服せざるを得ないし、最終回まで見てのカタルシスも爽快になる。
すべては朝子=いづみの記憶の中の物語だったという構図は、まるであの映画「タイタニック」のごとし。リナと一緒に島から逃げてしまった鉄平のその後を知ったいづみの脳裏には、華やかだった頃の端島の人々が蘇り、「私の人生、どげんでしたかね」といづみに問う若かりし頃の朝子。「気張って生きたわよ」と答えるいづみ=朝子は、最後には現世でかなわなかった鉄平からのプロポーズを受け入れる。「タイタニック」の構図を援用しつつも、群像劇として描いてきたことで恋愛ありきではない、広い層に刺さるドラマになった。
そもそも端島が「軍艦島」と呼ばれてきたのも、島の形が廃棄された戦前の戦艦「土佐」に似ていたからだった。劇中、現代の端島に明かりが灯って最盛期の様子が蘇るところは、老いたローズの記憶の中で、サウサンプトンから華やかに出航する1912年のタイタニックが蘇っていくシーンを想起させる。海に浮かぶ、船のような形をした島という舞台設定もしっかり脚本に活かしてくれた。
最後には、2018年から2024年に時代が飛ぶ。月並みな作品なら本当のラストシーンでは、いづみの墓前で玲央が手を合わせたりしそうなものだが、そんなベタは演出はしない。2024年でもいづみは健在で、90歳前後とは思えない元気なおばあちゃんぶり。最後まで視聴者の予想を裏切ってくれる。
思えば第1話から見返すと、「華麗なる一族」や「不毛地帯」のような、昭和を舞台にした重厚長大なドラマかと思いきや、こうやって考察を楽しめながら追える1作だった。いづみの孫役で、片岡凜やJO1の豆原一成といった若手俳優も存在感を発揮した。朝子・リナ・百合子の中で一番平凡な人生を歩みそうだった朝子が、社長になって一代で会社を育て上げたことも驚き。思い通りにならないし、何が起きるのか分からないのも人生。それでもいづみはたまたま玲央に声をかけたから、鉄平が端島に遺していった“ダイヤモンド”=ギヤマンにたどりつけた。偶然や、思いもよらない運命に賭けて前向きに生きてみようと思わせてくれる。
今年で閉山からちょうど半世紀が経った端島の建造物は崩壊が進みつつあり、やがては上陸もできなくなるかもしれない。まだ島で過ごした人々も健在で、しっかり考証もでき、現地での撮影もできたこのタイミングならではのドラマだった。閉山と同じ1974年に生まれた野木氏によって、端島の歴史とそこに生きた人々に捧げたアンセム=賛歌が出来上がった。
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