手塚治虫に森高千里、「24時間テレビ」のシンボルマークまで…日本に「アニメーション」を定着させた「久里洋二さん」の偉業を担当編集者が追悼

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 アニメーション作家・漫画家の久里洋二さんが、2024年11月24日、老衰により亡くなった。享年96。大往生である。

 新潮社「とんぼの本」の初代ロゴマークは、久里さんのデザインである。さらに『ボクのつぶやき自伝@yojikuri』を刊行するなど、新潮社とも縁の深い方だった。海外では“アニメーションの神様”とさえ称されていた。いったい、どんなひとだったのだろうか。新潮社のOB編集者で、久里さんを担当していた森重良太さん(66)に、『自伝』をもとに思い出を寄稿してもらった。

ヴェネツィア映画祭のトロフィーが

 2011年のこと、ツイッター(現「X」)を見ていたら、「@yojikuri」のアカウントを見つけました。久里洋二さんのツイートです。過去の思い出、アニメーション業界の裏話、近況――初めて知る話がたくさん書かれています。さっそく検索して、いままでのツイートを集めたら、ものすごい分量でした。

 そもそも当時、久里さんは、すでに83歳です。そんな老人が、毎日毎日(時には1日数回も)、こんなに大量のツイートができるものでしょうか。アシスタントが聞き書きして、代理で打ち込んでいるのでは……。しかしよく読むと、誤字や脱字、変換ミスも多く、明らかに、83歳のご本人のツイートだと確信しました。

 それらを内容の年代順、ジャンル別に分類してまとめたのが、『ボクのつぶやき自伝@yojikuri』(2012年刊)です。新潮社「とんぼの本」シリーズの、初代ロゴマークは久里さんのデザインでした。テーマである「複眼をもつとんぼのように、幅広い視点で」が、上品に可愛らしく表現されています。1983年の創刊時、その橋渡しをしたのが、久里さんと親しい新潮社装幀室のベテラン・デザイナー、高橋千裕さんでした。

 高橋さんとともに麹町のアトリエを訪ねると、玄関で、等身大のガイコツが迎えてくれました。室内は床から天井、壁という壁まで、ありとあらゆるモノ、グッズ、アート、画材、ガラクタ(?)で埋まっており、まさに“幻想魔窟”でした。

 ふと見ると、海外の映画祭で獲得したらしいトロフィーが、いくつか無造作に置かれていました。「先生、これ、もしかしてヴェネツィア映画祭のトロフィーですか」と聞いたら、飄々と「もう、なんだかわからない。重いから、向こうに置いてきたトロフィーもあるよ」。

〈僕自身はヴェネツィア映画祭には、一度も行っていない。最初にヴェネツィアで受賞したのが『人間動物園』(1962年、青銅賞)、二度目は『LOVE』(1963年、青銅賞)、三度目は『部屋』(1967年、サンマルコ獅子賞)。〉
〈3回も受賞したのに、日本のマスコミは記事にしてくれない。短編アニメを小馬鹿にしていたようだ。いまでもヴェネツィアといえば、黒澤明『羅生門』、稲垣浩『無法松の一生』、北野武『HANA-BI 』の3本なんです。〉(前掲書より。以下同)

 ちなみに「人間動物園」 (音楽:武満徹)は海外映画祭で計11冠を獲得しています。

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