「落語ができなくなったら生きていてもしょうがない」 隠れた実力者「立川ぜん馬さん」の芸を磨き続けた人生

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妻の料理を三角コーナーに……

 歌手で8歳年下のさこみちよさんと84年に結婚。

「まめで優しい。かと思えば、新婚旅行先のハワイで主人が下調べしていたお店が現地にほとんどなかった。図書館で借りた5年前のガイドブックの情報でした。私の作ったニラ玉がまずかったと流し台の三角コーナーに捨てていたこともあります」

 2008年、還暦を迎え、1年間の断酒を実行したが、

「その後、取り戻すかのように飲んだくれ、肝臓がんが見つかりました」(さこさん)

 手術し復帰できたが膀胱がんなどを次々と患う。14年には進行した食道がんと判明。手術すれば声帯を失うと告げられ、放射線治療を選ぶ。

「落語ができなくなったら生きていてもしょうがないと言っておりました。以前のように声が出にくくなり、息が続かず調子よく話せなくなっても落語への姿勢は一途でした」(さこさん)

 請われて一門以外にも稽古をつけている。

“らしい”最期

「奥さんの支えのおかげでくじけなかった。御礼とおわびは早ければ早いほどいいとの師匠の教えも、ずっと守っていたすがすがしい人だったね」(毒蝮さん)

 今年6月まで高座に立つ。がんは肺や骨に転移していた。

「痛みで死ぬのがこんなに大変とは思わなかったと言いながらも、“私が死んでからすること”と書いた紙を渡されました。伝える方々の連絡先などがまとめてありました。最期まで主人らしかった」(さこさん)

 12月8日、76歳で逝去。

「談志さんは最晩年に『江戸の風』という概念を語りました。ぜん馬さんの古典落語への変わらぬ姿勢と実力を踏まえ、落語には伝統に根ざした“風”がなければ、と伝えようとしたのではと思います」(広瀬さん)

 立川流を支えてきた大きな柱だった。

週刊新潮 2024年12月26日号掲載

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