「M-1」で「デブネタ」だけでは厳しいと評価され…苦しんだ「タイムマシーン3号」はなぜ、大ブレイクできたのか

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年間出演番組353本

 タイムマシーン3号は、長年にわたりお笑いの世界で実力派として知られてきたが、なかなか大きなブレイクには至らなかった。しかし、現在はYouTubeチャンネルの登録者数が100万人を突破しており、ニホンモニター株式会社が発表した「2024ブレイクタレント一覧」でも4位(関東) にランクインして、年間で353本もの番組に出演した。今では押しも押されもしない地位を確立している。

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 彼らは、何らかの明確なきっかけがあって今の地位にたどり着けたわけではない。長いキャリアの中で、試行錯誤を繰り返しながら、じわじわと仕事を増やしてきた。その過程をたどりながら成功の秘密を分析してみる。

 タイムマシーン3号がお笑い界で最初に注目されたのは、「爆笑オンエアバトル」での活躍である。この番組では、観客審査でオンエアを決める方式が採用されており、幅広く受け入れられるようなわかりやすいネタが評価されやすい傾向があった。

「わかりやすさ」を強みにしていた彼らは、この番組で常に高得点をマークして活躍を続け、安定した結果を出していた。関太の体型を生かした「デブネタ」やテンポの良い漫才は多くの観客の心をつかみ、彼らの知名度を押し上げた。

 しかし、本人たちは必ずしもその状況に満足していなかった。当時の彼らはお笑いが専門ではない芸能事務所に所属していたため、ライブに出られる機会が少なく、観客の反応を見ながらネタを磨くようなことができなかった。

 彼らにとって転機となったのは、2005年の「M-1グランプリ」だった。予選で大爆笑を勝ち取った彼らは、初めて決勝進出を果たした。決勝では得意の「デブネタ」を披露したのだが、得点は伸びず、7位という結果に終わった。審査員からは「デブネタだけでは厳しい」といった趣旨の辛辣な評価が寄せられた。この結果は彼らにとって大きな衝撃だった。それまでの漫才のスタイルに行き詰まりを感じて、新しい形のネタを模索するようになった。

 しかし、この挑戦はすぐに実を結ぶものではなかった。新しい形を次々に試していく中で、彼らは持ち味を失い、逆にウケなくなるという悪循環に陥った。この時期はお笑い業界全体でも変化が起きており、「エンタの神様」や「爆笑レッドカーペット」といったショートネタ番組が全盛期を迎えていた。しかし、タイムマシーン3号はその流れにうまく乗ることができず、苦しい時期が続いた。

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