スポーツ紙で“ナベツネ”の呼び名が使われなくなった事情…人情家の一面もあった「渡辺恒雄さん」の素顔

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ホリエモンが球界に参入できなかったのは「ナベツネさんにあいさつしなかったから」

 2004年には、近鉄バファローズの球団経営危機をきっかけに、球界再編問題が勃発した。渡辺氏は1リーグ制移行をぶち上げ、2リーグ制維持を求める選手会に対し、「たかが選手が」と発言し、世論の反発を招いた。最終的には、近鉄がオリックスに吸収される形となり、東北楽天ゴールデンイーグルスが新規参入して、12球団2リーグ制は維持された。

 この際、楽天より先にバファローズ買収による球界参入に名乗りを上げていた、当時ライブドア社長の“ホリエモン”こと堀江貴文氏は弾かれる格好になった。堀江氏は自身のYouTubeチャンネルで当時を振り返り、「僕がプロ野球界に参入できなかったのは、まずナベツネさんにあいさつをしなければいけない、という球界の暗黙のルールを知らなかったから」という趣旨のことを語っているが、そういう実情はあっただろう。というのも、DeNAが2012年からベイスターズを買収して球界に参入した際、渡辺氏は「南場(智子・現球団オーナー、DeNA代表取締役会長)さんと会ったが、非常にシャープな女性だった」と評していた。

 ちなみに、渡辺氏は一般に“ナベツネ”の渾名で知られるが、おおむね1990年代後半以降、週刊誌などはともかく、スポーツ紙や一般紙のスポーツ記者はこの表記を一切使わなくなった事実がある。筆者は先輩記者から「読売を通じて、『ナベツネ呼ばわりは失礼ではないか。そもそも昔から“ワタツネ”とは呼ばれていたが、“ナベツネ”なんて呼ばれたことはない』と申し入れがあった」と聞いたことがある。

 渡辺氏が本当に舌鋒鋭かった頃のプロ野球界では、セ・リーグ各球団は1試合1億円といわれた巨人戦のテレビ放送権料が頼みで、セ・パ交流戦が設けられる以前のパ・リーグ各球団はどこも球団経営が苦しかった。しかし、いまや東北楽天、北海道日本ハムなどの地域密着戦略が成功し、12球団がどこもそれなりに観客を集められるようになった。野球日本代表「侍ジャパン」も常設化され、かつてに比べると、巨人1球団に対する依存度は低下したといえる。渡辺氏の球界における権力は“巨人さまさま”の状況が生みだしたもので、このような人は球界に2度と現れないのではないか。

(取材・文/喜多山三幸)

デイリー新潮編集部

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