2年交際の恋人は“人妻”だった… 「譲ってやるから金払え」と夫から提示されたお値段は

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【前後編の前編/後編を読む】バツイチ女性と結婚、産まれた息子が「自分に似ていない」 悶々とする44歳夫の前に前夫が現れ告げたコト

 昭和の文豪・谷崎潤一郎が、自身の妻を詩人の佐藤春夫に譲り、だが結局はそれを反故にしたことで佐藤との仲が壊れたという大スキャンダルは有名な話。当時の文豪たちのやることはわからないと思われがちだが、谷崎にステッキで殴られる妻を見て、佐藤はいたく同情していたようだ。谷崎は自身の旺盛な性欲や性癖とこじらせた性格ゆえに、あれほどの名作を書けたのだろうが、一方で私生活では決して満たされていなかったのかもしれない。

「谷崎が出てきますか」

 猪田栄一朗さん(44歳・仮名=以下同)は、谷崎の名を出すと苦笑した。彼は学生時代、日本文学を専攻しており、谷崎と佐藤の一件もよく知っていた。興味はあったものの、自分がそれになぞらえるような「運命」をたどっているという認識はなかったという。

「甘えん坊」を演じた家庭環境

 栄一朗さんは、両親が経営する小さな商店に生まれ育った。姉と妹にはさまれた長男で、同居する父方の祖父母から溺愛されていた。

「小学校に行くときは祖父がランドセルをもち、祖母が手を引いてくれる。それを見た級友たちからよくからかわれました。僕だって恥ずかしくて嫌だったけど、祖父母が当たり前のようにやるから断りづらくて」

 姉に打ち明け、姉から両親、父から祖父母へと話がいき、ようやく彼が祖父母引率から逃れられたのは小学校3年生のときだった。ただ、その後は2歳年上の姉がランドセルをもってくれた。年子の妹には、いつも「おにいちゃんって甘えん坊なんだ」とバカにされていたという。甘えん坊でいることも家族への配慮だったと、栄一朗さんは大人になってから苦い記憶とともに思い出す。

「姉は僕より勉強ができたのに、高校を出ると地元の金融関係で働き始めました。家計を助けようと思ったんでしょう。『あんただけは大学に行かせるから』と言ってくれました。そのころ、お店は母がひとりでやっていて、父は会社勤めをしていた。車でスーパーまで買い出しに行く人が増えたので、うちみたいな店は経営が成り立たなかった」

 家族のプレッシャーを一心に受けて、彼は塾にも予備校にも行かず、東京の有名私大に合格した。親戚も喜んでくれたが、学費と生活費をどうするかが問題だった。母がへそくりを出し、姉が2年間のボーナスを全額提供し、なんとか初年度だけは払える見通しがたった。

「生活費や2年目以降の学費は奨学金を借りるしかないと思ったんですが、父がなぜか『若いうちから借金などしてはいけない』と、親戚を回ってカンパを集めてくれた。とりあえず学生寮に入って生活を始めました」

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