「黒澤明の野郎、バズーカ砲で…」大物監督に激怒した「三船敏郎」 盟友・宝田明さんが明かした“世界的スターの孤独”

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 1997年12月24日、「世界のミフネ」と呼ばれた世界的スターの三船敏郎さんが死去した。享年77。彼の名声を高からしめたのが、その翌年の9月6日に死去した黒澤明監督(享年88)の作品であることは論を俟たない。

「醉いどれ天使」(1948年)を皮切りに、「世界のクロサワ」とタッグを組んだ作品は16本。中でも「羅生門」(1950年)、「七人の侍」(1954年)、「隠し砦の三悪人」(1958年)、「用心棒」(1961年)などは、海外映画祭でも高く評価された。だが、最後は1965年の「赤ひげ」と、タッグの終了は少々早い。

 黄金コンビとして名作を生みだしていたものの、実のところ当時の間柄は微妙だったと「週刊新潮」に明かしていたのは、2022年3月14日に死去した俳優の宝田明さん(享年87)である。宝田さんは後の2019年、三船プロダクション監修の書籍『三船敏郎の映画史』に寄稿するほど三船さんと懇意にしていた。そんな宝田さんが見ていた“三船ちゃん”の素顔は「借りてきた猫みたいにおとなしい人」。また、大スターゆえに孤独で、撮影中もウイスキーを手放せなかったという。

 2025年1月3日からは、アラン・ドロン、チャールズ・ブロンソンとの共演作「レッド・サン」(1971年)が全国順次公開される。世界を魅了した「ザ・日本男児」と、繊細だった素顔。そのギャップもまた、三船さんの魅力を深めている要素だ。

(「週刊新潮」2006年3月2日号「50年の50人 「孤独な『三船敏郎』は撮影中も『ウイスキー』」を再編集しました。文中の年齢等は掲載当時のものです。一部敬称略)

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自分で事務所の玄関を掃いて、窓を拭く

「三船ちゃんは、酒を飲むと変身してしまう。私らはよく、『MGM(映画のオープニングでライオンが吠える)が吠えてるよ』と冗談で言っていたものでした」

 そう語るのは、俳優の宝田明氏(71)である。

「しかし、素顔の三船ちゃんは、あの渋い外見からは想像もできませんが、もう本当に借りてきた猫みたいにおとなしい人なんですよ。おまけに繊細な性格で、三船プロの社長時代には、自分で事務所の玄関を掃いて、窓を拭き、テーブルを雑巾がけして、とても世界のミフネとは思えなかった」(宝田氏、以下同)

 三船は1946(昭和21)年に、東宝ニューフェースの1期生として映画界入りした。宝田氏は後輩の6期生である。三船は、1948(昭和23)年の「醉いどれ天使」から1965(昭和40)年の「赤ひげ」まで、16本 の黒澤明監督の映画に出演(うち主演は15本)した。

 宝田氏はこう話す。

「『七人の侍』の公開は1954(昭和29)年で、その頃にはもう三船ちゃんは大スターでした。ところが、その3年後の作品となる『蜘蛛巣城』の頃から、黒澤監督と三船ちゃんの仲は険悪なものになっていました。それまでは本当に仲がよかったんですよ。黒澤監督が主催するゴルフコンペには必ず出ていた。でも、そのうち、『黒澤の野郎となんか回れるか!』と公然と言い、ゴルフクラブも折ってしまったんです」

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