石破首相はなぜ「ウケない」「新味のない」政策を唱え続けるのか 日本消滅の危機とは

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新味がないと批判され

「ぶれた」との批判を浴びることが多い石破茂首相だが、この十数年、一貫して訴えており、首相就任後も最優先の政策として掲げているのは「地方創生」である。

 もっとも、この政策のウケは良くない。どうしても過去のバラマキの光景が脳裏に浮かぶ人が多いからだ。中央から降って来た大金の使い道に困った地方が建てたムダな建物、ナゾのオブジェなどなど。

 その点は政治部記者を抱える新聞も同様で、地方創生への冷ややかな見方を示す記事も珍しくない。

「『石破カラー』なお不明瞭 外交・地方創生…新鮮味乏しく 所信表明演説」という見出しを掲げたのは11月30日の朝日新聞。

 普段はまったく朝日と気の合わない産経新聞も「【水平垂直】所信表明演説 「地方創生」強調も新味欠く」との記事を掲載している(11月30日)。

 果たして政策に「新味」が必要かどうかはさておき、これら東京に本社を置く新聞の記者には「地方創生」はやはりどこかで遠い話、「バラマキ」の延長線上という見方があるのかもしれない。

 それよりは「所得を増やす」などのアピールのほうが訴求力が強いのは否めない。

 なぜ石破首相は大してウケない、「新味」がないとされる政策を繰り返し訴えているのか。石破氏の著書『私はこう考える』冒頭には、その強い危機感や問題意識がわかりやすく語られている文章がある。地方創生担当大臣を務めた後、まだ首相になる前のものである。

 地方を甦らせなければ日本は滅びてしまう、という首相の危機感を見てみよう(以下、同書から抜粋・引用しました)。

 ***

 いまは有事である。

 冒頭からこのように申し上げると、何だそれは、と思われるでしょうか。

「また尖閣だの集団的自衛権の話をしようとでもいうのか」

 多くの方がそのような疑問を持たれるかもしれません。

 しかし、私は冗談で申し上げているのでもありませんし、突飛な表現で読者の皆さんを脅かすつもりもありません。

 国立社会保障・人口問題研究所の発表によれば、このままの出生率が続けば、200年後には日本の人口は1391万人、300年後には423万人、西暦2900年には4000人、3000年には1000人となるそうです。もちろん、これはあくまでも机上の計算で、出生率が上がらなければ、という前提ですから、実際にどうなるかはわかりません。また、西暦3000年なんて先の話は、想像すらできないし、する必要もないと思う人もいることでしょう。

 ただし、出生率の低下が国家の存亡にかかわることであると実感するには、有効なシミュレーションではないかと私は考えています。

 国家の存立要件とは何か。それは三つあります。

 国土であり、国民であり、排他的統治機構です。

 その大切な国民がこのまま事態が進めば、静かに消えていく。

 これを有事と捉えない理由があるでしょうか。

 私は長年、安全保障の分野に携わってきました。

 安全保障政策に関しては、自民党と他の党とで必ずしも意見、立場が完全に一致するわけではありません。2015年の国会で、安全保障法制に関して合憲か違憲かといった議論が激しく行われたのはご承知の通りです。

 それについては様々なご意見があるのでしょうが、少なくとも「日本国を守るため」「領土を守るため」「平和を守るため」に国家がベストを尽くすべきである、という前提はほぼすべての国会議員、国民が共有していると私は信じています。意見が分かれるのは、あくまでもその目的を達成する手段、プロセスに関する見解の相違によります。

 国土を守る、国民を守ることの重要性については、ほぼすべての国民が理解している。だからこそ、尖閣や北方領土、あるいは拉致問題について、多くの人が熱心に議論し、あるいは行動をとっているわけです。

 ところが、事が人口問題となると、そのような「熱さ」は感じられません。静かに、確実に進行している危機に対しては、まだどこか他人事のようなところがある。

 しかし、それでいいはずがありません。

 この問題もまた国の存立にかかわっているのです。

 敵国が攻めてくるとか、領土を奪われるといったことは、現段階では「起こりうるリスク」です。そのリスクを極力、低減するために、私たちは外交的努力を続け、国内では様々な法案を整備し、自衛隊の力をつけるように努力しています。

 一方で、人口問題はすでに「起こっていること」であり、現在進行形の問題です。にもかかわらず、政治家も国民もまだ危機意識が薄い。

 だからこそ有事である、と私は申し上げているのです。

地方消滅の衝撃

 超高齢化、少子化の問題は地方に先にやってきています。これまで日本では人口、食料、エネルギーは地方が生産し、それを大都市が消費するという構造にありました。

 高校まで地方で学んでいた学生の多くが、大学進学とともに東京や大阪など大都市に出ていき、戻ってきません。農業や漁業などの1次産業が地方にあるのは言うまでもないでしょう。そして福島の例を挙げるまでもなく、ほぼすべての発電所は大都市以外に立地しています。

 その大切な地方が、消滅しつつある。そのことを具体的なデータとともに示したのが、2014年に刊行された『地方消滅』(増田寛也編著・中公新書)でした。地方だけが消滅して、都市圏は安泰などという虫のいい話はありません。地方で起きたことは、確実に大都市圏でも起きます。

 人材、食料、エネルギーの生産の場だけが衰退して、消費の場だけが繁栄するなどということがあるはずがない。20年程度のタイムラグはあるにせよ、確実に東京も消滅に向かいます。地方の出生率が下がれば、東京に供給できる人数も減ります。

「どうせ俺の生きているうちは大して変わらないから、知ったことではない」

 そう考える人もいるかもしれません。もちろん、個人としてそのような考え方を持つのは自由です。たしかに、現在の中高年が生きている間は、ギリギリなんとか日本はもつかもしれません。

 しかし、それで良しとするということはすなわち今の子どもたちに対して、大きな負の遺産を残したまま、責任を放り出したまま、死んでいくということです。個人のレベルはいざ知らず、少なくとも政治家はそのような立場を取るべきではないでしょう。

 聞くところでは「こんな暗い未来を子どもたちに見せたくない。だから子どもは作らない」と考える若い人もいるそうです。それでさらに出生率が下がるようであれば、まさに悪循環です。

 領土が侵犯されるリスクや、原発事故のリスクよりもはるかに高い確率で、いや確実に到来する危機が目の前にあるのです。人口減少は「起きるかもしれないリスク」ではなく、確実に来ることがわかっている事態です。これを危機と呼ばずして何を危機とすればいいのだ、と思います。

人口減少楽観論の間違い

 人口が減少することを悲観しなくてもいい、という人もいます。

「そもそも狭い国土に1億数千万人もいるから窮屈なんだ。明治時代の人口は4000万人。そのくらいでもいいじゃないか」

 こういう論理です。たしかに一見、説得力のある意見です。家も広くなりそうですし、通勤電車も混まなくなるから、いいような気もします。しかし、これは人口の「数」のみを見て、「中味」を見ていない議論だと言わざるをえません。

 明治時代半ばの人口4000万人のうち、高齢者の占める割合はごくわずかです。当時の平均寿命は40代前半。だからこそ明治以降、日本の人口は爆発的に増えました。明治維新から100年間で3倍になったのです。

 戦後、1950年においてすら日本の高齢化率(人口のうち65歳以上の占める割合)はわずか4.9パーセントでした。それがもう25パーセントを超えています。

 おそらく明治時代の老人、昭和の老人よりも今のシニア世代のほうが若く、お元気なのでしょう。それは実に良いことです。

 しかし、いかに今のシニア世代が元気で若々しく、時に恋愛に対しても積極的であったとしても、若者のように子どもを作ることはできません。また、消費にせよ生産にせよ、やはり限度があります。極端に高齢者が多いようでは、活力ある国家とは言えないのです。

 明治時代を引き合いに出して、「だから人口が減ってもいいじゃないか」というのは、あまりに楽観的、あるいは無責任な考え方だと言わざるをえません。

 このままの傾向が進めば、日本国はサステナブル(持続可能)ではなくなる。その認識を前提として共有する必要があります。

「今はとりあえずそんなに困っていない。それならば当分はこれでいいじゃないか」

 そう考える方もいるでしょう。

 しかし、そのような思考法が蔓延しているから、日本はこれまでいろいろな問題を放置してきたのではないでしょうか。

 食料自給率を上げよう、という方針について反対する人はほとんどいません。しかし、そのための目標を本気で設定し、方策を本気で考え、デメリットも含めて皆で共有するといった作業をしてきたのか。答えはノーです。

 人口問題も同様です。

 そして、こうした大きなテーマに関して、「中央政府に任せておけばいいや」と考えているようではもはやどうにもなりません。むしろ、その逆の発想が求められます。

 国が地方を変えるのではなく、地方の真摯な取り組みこそが国を変える。そのような考え方を共有すべきである。これが初代の地方創生担当大臣をつとめた私の結論です。別の言い方をすれば、「地方創生」の集積が、日本全体の「創生」になる、ということです。

地方からの革命を

 株価が上がったのはいいことです。しかし、日経平均株価は東証1部上場の約2000社のうち、わずか225社を抽出したものに過ぎません。もちろん、ある程度は上場している企業全体の業績を反映しているでしょうが、全てではありません。ましてや、日本の雇用の7割を占める中小企業の状況を示しているわけではない。だからこそ「実感が無い」という国民が数多くいるのです

 だとすれば、やはり私たちはそろそろ次のことを前提とすべきなのです。

 国主導の金融政策、財政出動のみで地方が甦ることはない。

 地方が甦ることなくして、日本が甦ることはない。

 本気で日本を甦らせるためには、新しい動きを地方から起こさなくてはならない。

 地方から革命を起こさずして、日本が変わることはない。

 これは決して勇ましいスローガンでもなければ、夢物語でもありません。

 明治維新は地方の志士たちによって成就したのであって、江戸幕府の成し遂げたものではありません。戦後の日本は、アメリカによって大きく変わりましたが、それ以外の歴史を見た場合には、大きな動きは地方から始まっていることのほうが多いのです。

 だから、地方から国を変えていくというのは、決して現実味のない話ではありません。

 また、どうか誤解なさらないで欲しいのは、問題そのものは深刻であるとしても、解決のためのプロセスは決して暗いものではない、ということです。

 私が地方創生大臣になってからお目にかかることのできた、そうした先駆者、挑戦者たちはみんな明るい表情をしていました。彼らのストーリーは、聞いているだけでも夢のあるものです。

 こうしたストーリーを共有する方や組織が、地方に増えれば、必ずや日本列島全体が変わっていくことでしょう。

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