魔球ナックルの使い手「フィル・二ークロ」 “48歳まで現役”をかなえた理由(小林信也)

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40歳過ぎて121勝

 64年4月、サンフランシスコ・ジャイアンツ戦でMLBデビューを果たしたがその年は0勝、2年目2勝、3年目4勝と低迷が続いた。ようやく67年に先発ローテーション入りし11勝をマークした時、フィルは28歳になっていた。

 そう書くと、フィルの努力が実った話になるが、私はその間、チームがよく辛抱した、ナックルボールの可能性をよくぞ信じ続けたものだとそちらの方に感心する。ストレートには何ら威力もない平凡な投手の、ただナックルの進化だけを願い続けて、球団は10年間も待ち続けたのだ。何しろフィルは「ストレートの投げ方を知らなかった」とうそぶく投手だ。ナックルが通用しなければ他に使い道がない。MLBの懐の深さ、発想の大きさに感服する。

 ついに魔球がMLBの打者たちを翻弄する次元に到達した67年から80年まで、フィルは14年連続2桁勝利を挙げる。81年はストライキでシーズンが中断した影響もあって7勝に終わるが、82年から86年までまた2桁勝利を続ける。実質的に19年連続で2桁勝利を重ねたと同じだ。

 翌87年オフに48歳で引退。驚くことに、フィルは40歳を過ぎてから121勝を挙げている。これはもちろんMLB記録だ。

 40代でなお活躍できたのは、ナックルボールが肩や肘にほとんど負担を与えず、体力の消耗も少ないからだと理解されている。だとすれば、スピードや鋭い変化球を追求するため、肘や肩の故障が多い昨今の投手像よりよほど推奨されるべき方向性とも感じる。

 通算投球回数5404.1回はMLB史上4位だが、上位3人はいずれも1920年代以前の投手たちだ。戦後のMLBではフィルが最上位に君臨している。

Wシリーズ不出場

 フィルは最初の20年間をブレーブスで過ごし、晩年の4年間はヤンキース、インディアンス、ブルージェイズを渡り歩いたが、現役24年間で一度もワールドシリーズに出場できなかった。これもMLB記録だ。その環境で稼いだ318勝にはそれだけ価値があるともいえるだろう。

 かつて記したとおり、私は村田兆治投手のフォークボールを受けた経験がある。落差の大きさが強調されるが、直接フォークを捕った強烈な印象は、一瞬幻惑されるワープ感だった。魂を抜かれた錯覚に襲われた。打者はきっとその瞬間にバットを振ってしまう。それがフォークを魔球と呼んだゆえんではないか。

 ナックルもきっとそうだろう。打者を惑わす妖しいオーラを醸し出しているのではないか。だからバットを振る時には打者はすっかり腰砕けになっている。日本の野球少年たち、いやおじさんも含め、こぞってナックル習得に打ち込む未来は来ないだろうか。

小林信也(こばやしのぶや)
スポーツライター。1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部などを経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。

週刊新潮 2024年12月19日号掲載

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