肋骨を折りながらもロケに出たミニスカポリス時代 無敵だった「ボタン飛ばし」で唯一黒星を喫したグラビアアイドルとは

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何回もやり直しに……

――過酷なロケもありましたか。

 スノーボードのロケに行ったら、転んで、肋骨を骨折してしまったんです。北海道から東京に帰ってきた時には夜遅く、病院がやっていなかったので、マネージャーさんと相談して、一旦家に帰って寝ることにしたんです。次の朝、迎えが来て病院に連れて行ってもらえるかと思ったら、ミニスカポリスの現場でした。

――治療しないまま現場だったんですね。

 そうです。私は、痛さから考えて、折れていると思っていました。現場で、マネージャーさんは「大原は肋骨を骨折して、今日は声が出にくいです」と言ってくれたんです。でも、オープニングの撮影で、「さあ、始まりました、ミニスカポリス」と声を張って言わなければならず……。

――肋骨を骨折していたら、声を張りにくいですね。

 すごく厳しかったです。ミニスカポリスって、だいぶふざけているように見えますが、全部台本があって、それを当日にもらって、現場で場当たりをして始める。オープニングから、テンションを上げていかないとNGになって、何回もやり直しになるんです。「大原、肋骨が折れているかもしれないけど、もう1回、頑張れ。はい、もう1回」みたいな感じでスタッフさんも演者も真剣に挑んでいました。

 第5回では、44歳の時に「大原かおり」から「大原がおり」に改名した時のことを振り返る。

■大原がおり
1976年、東京都八王子市出身。1997年、3代目ミニスカポリスに就任。CM、バラエティ番組などで活躍する。2005年、ドッググッズブランド「Otty(オッティ)」を設立。

デイリー新潮編集部

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