肋骨を折りながらもロケに出たミニスカポリス時代 無敵だった「ボタン飛ばし」で唯一黒星を喫したグラビアアイドルとは

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大原がおりインタビュー第4回

 20歳の時に芸能界デビューした大原がおり(48)。巨乳ブームにも乗って、すぐに売れっ子になった。テレビ東京系「出動!ミニスカポリス」の3代目ポリスに就任。雑誌のグラビアやバラエティ番組などで活躍した。バラエティ番組では豪快な企画にもチャレンジした大原に、当時の様子を聞いた。(全6回の第4回)

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――大原さんといえば、印象に残っているのは「出動!ミニスカポリス」です。

 21歳の時に、3代目ミニスカポリスになりました。当時、私は90センチ級の胸の子たちと戦うコーナーに出ていました。胸でシャツのボタンを思いっきり飛ばして、その飛んだボタンの個数と距離で勝負するんです。世の中には、「ポイント制」というものがありますが、私たちは「ボイント制」と言って、競い合っていました。

――ボタン飛ばしは強かったのでしょうか。

 ずっと勝ち残っていて、私がチャンピオンだったんですけど、全国から「戦いたい」という手紙が来たんです。番組では「道産子がお前に戦いを挑んでいる」と言われて、ミニスカポリスの衣装を着たまま、みんなで北海道に行って、札幌の時計台の下で戦ったこともありました。

――いかがでしたか。

 その子のあだ名は「北海道のヒグマ」でした。ヒグマのようにがっちりとした女の子で、90センチの巨乳でした。熱い戦いになりましたが、ボタン飛ばし対決はギリギリで勝てました。私、ほとんど負けなかったんですが、一度だけ負けたことがあるんです。

――誰 にですか、それは。

 グラビアアイドルの子でした。「東洋90センチ級の巨乳チャンピオンが大原の座を狙って挑んできている」と紹介され、思いっきり頑張ったのですが負けてしまいました。そして、その子がポリスになったんです。

――大原さんはどうしたのですか。

 ミニスカポリスの座を降ろされました。「その間に大原は何をしているか」という風になって、山の上のお寺で、ボタン飛ばしの修行をすることになったんです。

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