48歳で事務所が倒産した「元ミニスカポリス」 109→アルタ前→竹下通り…果たしてスカウトマンに声をかけられたのか
30代の頃に悔しい思い
――以前にも仕事がなくなったことはあったのでしょうか。
ありますよ。30代の頃です。つらかったですね。テレビから全く声がかからなくなりました。自分の頭はまだ全然衰えてなくて、“バラエティ脳”のまま。テレビに出た時には、家に帰ってオンエアを見直して反省会をしていたのに、それもできなくなったんです。
――テレビを見るのは辛かったでしょうか。
モヤモヤとした悔しさですね。見ていても、「絶対、私のほうが面白い返しができるのに」とか「この子、全然やる気がないから私でいいじゃん」と思ってしまったりして……。結局、ストレスになるのでテレビは見なくなりましたね。
――生活をするための仕事はあったのでしょうか。
テレビに出なくなってから、ペットのブランド「Otty(オッティ)」を立ち上げました。ただ、人前に出ずに一人で淡々と仕事しているのは、本当に辛かったです。よく一人で、会社で泣いていました。
――どのような日々だったのでしょうか。
毎日やることが多くて、犬の服をデザインしたり、パターンを引いたりしていたのですが、わからな過ぎて本当に大変。友達からの誘いも断って、作業していましたが、一方でバラエティにも出たいという思いもあって、余計に辛さが増しました。
――どう乗り越えたのでしょうか。
一度、かなり辛く感じてアパレルの先輩に辞めようかと相談した時に「かおり 、辞めるのは簡単だけど、辞めようと思うことを辞めて、頑張ってやり続けて」という言葉をかけてもらい、その時にまだまだ頑張ろうと思えて、何とか事業を軌道に乗せることができました。その仕事が主となってしまったので仕事を変えたような形になりましたが、バラエティへの思いは変わらなかったですね。
第3回では、あだ名が「おっぱいちゃん」だったというデビュー当時を振り返る。
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