田中元首相を激高させ…ロッキード事件捜査の要「堀田力さん」が選んだ“第二の人生” 「出世競争で人生を干上がらせてはもったいない」【追悼】

国内 社会

  • ブックマーク

 1976年、ロッキード社が旅客機を売り込むため日本側に多額の工作資金を贈り、政府高官にもその金が渡っていたことが、アメリカで明るみに出た。

 政府高官とは誰なのか、日本のマスコミや国会は大騒ぎになるが、証拠資料はアメリカ側にある。当時、堀田力(つとむ)さんは法務省で刑事事件に関して外国側と交渉を担当する立場にいた。

 アメリカは日本側に資料を渡さないだろうとの見解が東京地検特捜部で大半を占める中、堀田さんは密使に任じられ単身渡米。協議し資料を提供してもらう手はずを整え、事件の捜査は具体的に動き出す。堀田さんが築いていたアメリカ司法省幹部との人脈が生きた。

 まだ難問があった。賄賂を贈ったロッキード社幹部への尋問だ。特捜部に異動した堀田さんは、アメリカの司法省に尋問を嘱託する方法を実現させ、現場に立ち会う。アメリカの検事に、もっと突っ込んで聞いてくれ、と何度もメモを入れ、田中角栄元首相の受託収賄容疑を裏付ける供述を得た。

 こうして田中元首相の逮捕、起訴へとつながるが、自分は特捜検事の一人に過ぎず、職務を果たしただけと手柄話をしなかった。

権力をかざし威張った人が大嫌い

 34年、京都府宮津生まれ。父親は英語の教師。京都大学法学部に進む。新聞記者を志していたが、権力をかざし威張った人が大嫌いという性分から検事を目指す。61年、検事に任官。

 捜査で活躍したロッキード事件では公判検事の一人として田中元首相と対峙。激高させた経験を本誌(「週刊新潮」)に振り返っている。〈“田中さんは立派な政治家であり、自らの口で国民の前できちんと事実を語って説明すべきだ”と語りかけた時です。本人に教え諭すような言い方が気に障ったのか、(中略)顔を真っ赤にして物凄い眼力で睨みつけてきたのです〉と記憶も鮮明だった。

 政治評論家の小林吉弥さんは思い返す。

「堀田さんら検事は、田中氏を感情的には揺さぶらなかった。敬意さえ感じさせつつ理詰めで突いていた」

 東京地検特捜部の副部長、法務省人事課長、法務省官房長などを歴任。将来、検事総長は確実と目されていたが、91年に57歳で退官。なぜとうわさが飛び交った。栄達よりも現場が大事。特捜部長に任じられなかった時点で転身を考えていた。

次ページ:出世競争で人生を干上がらせてはもったいない

前へ 1 2 次へ

[1/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。