「子どもに投資を教えるなんて“アホ”」 養老孟司さんが語る「本当に子どもを大切にするということ」
新NISAの人気を見る限り、政府が国民に投資を推奨する政策はそれなりの支持を得ているようだが、その流れで子どものうちから投資や金融についての知識を教えたほうがいいといった意見もよく目にするようになった。
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その種のPR活動を支える目的で、金融業界などが発起人となった金融経済教育推進機構という組織も今年4月に発足。同機構のHPを見れば、小中学生向けの金融教育の教材が丁寧に紹介されている。
たしかに大人になっても「利子ってなに?」という調子だと詐欺にだまされたり、借金地獄にあえいだりするリスクは高まるだろうから、一定の常識は必要だろう。
しかし『バカの壁』で知られる養老孟司さんは、幼いうちからその種のことを教えようという風潮には強い違和感があるという。子どものうちから「投資」を教えるのは「あほ」なことだ、とも――。その真意はどこにあるのか? (以下は養老さんの新著『人生の壁』より)
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昔のほうが子どもを大切にしていた
いまは子どもを大切にしていると言いながら、実は大切にしていない気がします。自殺が多いのはそのあらわれだとも考えられます。「昔の方が子どもに厳しくてスパルタだったじゃないか」というのはよくある勘ちがいです。
たしかに体罰やゲンコツはありました。そこだけ取り上げると、スパルタ式で厳しかったように思われるでしょう。
一方で、忘れられがちなのは、昔は子どもが簡単に病気などで亡くなっていたことです。たとえば昭和14年頃まで、日本では乳児の10人に1人が1年以内に死亡していました。この死亡率は戦後、どんどん下がっていき、高度成長期頃には乳児、新生児の死亡は100人に1人くらいになり、現在の死亡率は乳児が500人に1人、新生児が1000人に1人くらいです。
つまり、子どもはとても弱い存在で、いつ急にいなくなるかわからないというのが、かつて社会の常識でした。そんなはかない存在であるからこそ、親も社会も子どもを大切にしなければと考えていたのです。
この子はもしかしたら何かの拍子に来年死ぬかもしれない。そんな気持ちがあれば子どもを大切にするのは自然なことでしょう。
実際に子どもを亡くした経験を持つ親も多かったのです。そういう人は他人の子どもにも寛容になります。
子どもは大人の予備軍ではない
子どもがいつ死ぬかわからないと思えば、いまのうちに好きに遊ばせてあげようと思うようになるのが自然です。その気持ちは想像できるでしょう。
いまは子どもの時期について、大人になるための貯金をする時期のように考えている人が多いのではないでしょうか。いま頑張っておけば、がまんしておけば、将来いいことがあるぞ、というリクツで子どもに無理をさせる。
すべては将来のための投資、という考え方です。子どもを大人の予備軍としか見ていません。
コロナ禍の時期、子どもたちにずっとマスクをさせることになったのは記憶に新しいところですが、その時のリクツと、この「予備軍」のリクツは少し似ています。
健康のためにはがまんしろ、おじいちゃんおばあちゃんに感染させないために、いまはがまんしろ。すべては将来のため、不安をなくすため。しかし、もしも来年にはこの子が死ぬかもしれないと想像して、それでもあれこれ強いるでしょうか。もっといまの時期を楽しんでほしいと考えるほうが自然でしょう。
将来のためにがまんしろ、先にはいいことがあるぞというのは、子ども時代そのものに価値を置いていないということです。
子どもには子どもの人生があり、その毎日がとても大切なものだと考える。これが子どもを大切にする基本なのではないでしょうか。
子どもへの圧力が増していないか
ところが近頃は、子どもに対して「早く大人の世界に関われるようになりなさい」と教え込む教育が主になってきているようにも見えます。
子どものときから投資だの資産運用だのをおぼえないといけないような意見をよく聞きます。「何とあほなことを」としか思えません。
コミュニケーション能力を高めましょう、グローバルで活躍できる人材を育成しましょう、なんて声も聞きます。組織で使いやすい人材を速成するにはいいのでしょうか。
でも、言うことに中身がなければ、コミュニケーション能力なんて意味を持ちません。
そして、こういう圧力が強くなることが、若い人や子どもたちにとってよいことだと私には思えません。
こんな調子だから自殺が増えるのでは、と思ってしまいます。
早期教育を勧めている人たちには申し訳ないのですが、そもそもこういうことは、人の日常生活と関係ないのではないかと思うのです。ここで言う日常生活というのは、食事をする、体を動かす、睡眠をとる、といった生き物としての基本のことです。
そこがきちんとしていることが重要であって、お金の知識も英語の能力も早くから身につけても人生にとって大した意味はありません。
幼児教育とか英才教育とか、何かすれば子どもが良くなるというのは勘ちがい。そのくらいに思っておいたほうがいいのです。
親の立場からすればどうしても「何かさせなきゃ」と思うのでしょう。周囲があれこれやっていれば、あせる気持ちになるのもわかります。
でも、多くの場合、無理に何かをさせても結果は大して変わりません。
この「何かさせなきゃ」で無駄なことをするのは、教育に限った話ではないようです。政治家や官僚、とくに前者はかわいそうなくらいに「何かさせなきゃ、しなきゃ」と思いこんでいる。自分たちが何かしたほうが世の中が良くなるという思い込みがあるのです。その結果、バカみたいな政策を進めてしまったのを、これまでに何度見たことか。