多くのアメリカ人が「原爆投下は正しかった」を譲れない理由…在米経験のある編集者が感じた「自己正当化」の実態
我が国が世界一
日本原水爆被害者団体協議会(被団協)がノーベル平和賞を受賞し、授賞式が執り行われた。核兵器廃絶に向けた長年の活動が世界に認められた形ではあるが、核の非保有国であるノルウェーの「ノルウェー・ノーベル委員会」が候補者を選定するだけに、今回の決定が核廃絶に向けての大きな動きに繋がるかということについては、懸念を抱いている。
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私は1987年から1992年までアメリカで中高生時代を過ごしたのだが、世界史とアメリカ史の中で教わる核兵器への考え方は、アメリカでは「アメリカこそ正義」で固められているのだ。私は現在51歳だが、現在アメリカで権力を握っている70歳ぐらいまでの人々は当然この教育を受けているわけで、被団協がノーベル賞を受賞しようがどこ吹く風、になるのでは、とさえ思う。
そもそもアメリカ人には「我が国が世界一だ」というプライドがあり、他国の認定する賞など屁でもない、という感覚を持っている。それがもっとも表れるのがプロスポーツである。MLBの決勝戦は「ワールドシリーズ」だし、NBAファイナルで優勝したチームも「ワールドチャンピオン」と呼ばれるようになる。サッカーはさすがに欧州の4大リーグに遠慮して「MLSチャンピオン」と呼ぶが、これはサッカーを一段格下に見ているからである。
日本はアメリカに感謝すべき
いずれにせよ、ロシアと並ぶ世界最大の核保有国であるアメリカは、広島・長崎への原爆投下をこれからも永遠に正当化し続けるだろう。だから被団協の切なる訴えも「はいはい、話は聞きました」というスタンスは取りつつも、「そろそろ黙ってくれないかな」と思っているかもしれない。
それがよく表れたのが1990年、私がアメリカの高校の世界史で原爆投下に関する授業を受けた時の話だ。世界史の教科書では、パールハーバーでの卑劣な日本の奇襲を非難し、その対抗策としてガダルカナルや沖縄戦を含めてアメリカは正義の闘いをした、ということになっていた。そのため、悪の枢軸の一因である悪魔的国家である日本には制裁を課さなくてはいけないと、東京大空襲をはじめ、各地を空襲し、挙句の果てには広島と長崎に原爆を落としたというのだ。そして、京都は文化遺産が多いから空襲をしなかった、日本はアメリカに感謝すべきである、とまで教師は言った。
これは偏見になるかもしれないが、この教師は40代後半の赤ら顔の薄毛で赤い帽子をかぶる「いわゆる共和党支持者」だった。『はだしのゲン』を読んでいた自分としては「こりゃ、一方的過ぎだろ!」と思ったものの、世界史のクラスにいる生徒は私以外全員アメリカ人。メキシコ人は一人いたか。
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