球界が騒然!「田中将大」だけじゃない…情け無用の“大減俸”を食らった大物選手
楽天の大幅ダウン提示に不満を抱き、他球団への移籍を望んで自由契約になった田中将大。獲得に動くとみられたヤクルトも撤退するなど、移籍先探しが難航中だが、今後、仮に受け入れ球団があったとしても、今季の年俸2億6000万円からの大幅ダウンは避けられそうにない。そして、田中以前にも、情け無用の大減俸に泣いた男たちが存在した(金額はいずれも推定額)。【久保田龍雄/ライター】
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田中将大を超える、歴代ワーストの大減俸は?
2020年オフに年俸9億円で楽天に復帰した田中は、2年契約が切れた23年、NPB史上で2番目に大きい4億2500万円ダウンの大減俸となった。「年俸1億円以上は40パーセント」とされている減額制限を大幅に超えるのもである。
さらに今季は2億1500万円ダウンの2億6000万円まで減額され、右肘手術の影響で1軍登板1試合に終わった今オフは、1億円を切る大減俸を提示されたと伝わる。4年で9億円から1億円未満に下がった選手は、他に類を見ない。
一方、1年単位で大幅に下がった例では、田中の23年を上回る史上最大の4億5000万円ダウンとなった、2015年オフの巨人・杉内俊哉がいる。
12年にソフトバンクから巨人にFA移籍した杉内は、4年総額20億円の大型契約を結び、3年連続二桁勝利を記録、12年の日本一とリーグ3連覇に貢献した。
だが、4年契約最終年の15年は、ソフトバンク時代から悩まされ、保存療法で何とかもたせていた右股関節を悪化させ、7月中旬に戦線離脱。05年以降ではワーストの6勝6敗、防御率3.95に終わった。
さらに10月に右股関節を手術し、戦列復帰は翌夏以降とみられたことから、杉内は自ら球団側に「来年度は基本年俸をギリギリまで抑え、出来高で評価してほしい」と申し入れ、12月10日、年俸5億円から4億5000万円ダウンの5000万円プラス出来高でサインした。
「手術は無事に成功し、経過も大変順調です。来年後半には戦列に復帰して、高橋由伸新監督の下、ペナント奪回の大切な時期に戦力として活躍できるよう、努力してまいりたいと思います」と決意を新たにした杉内だったが、翌16年は回復が遅れ、1軍登板なし。17年も3月16日のソフトバンクとのオープン戦に登板したが、その後、左肩痛を発症し、4月10日の2軍戦を最後に実戦から遠ざかってしまう。この結果、オフの契約更改では、年俸も3000万円にダウンした。
そして、37歳になり、選手生命をかけて臨んだ18年も1軍登板なく終わり、「もう一度、東京ドームのマウンドに立ちたい」の願いを叶えることができないまま、ユニホームを脱いだ。
「契約してもらえるだけありがたいという気持ちで」
移籍を伴わない同一球団で、田中に次ぐ史上3位の大減俸を記録したのが、12年オフの巨人・小笠原道大である。
07年に日本ハムから4年総額15億2000万円で巨人にFA移籍した小笠原は、4年連続3割、30本塁打以上をマークし、10年オフに2年総額8億6000万円で再契約した。
だが、翌11年は飛ばない統一球の影響などで、打率.242、5本塁打と大きく成績を下げ、契約最終年の12年も、出場34試合の打率.152、0本塁打の大不振。この結果、3億6000万円減の年俸7000万円と、6分の1以下に減額された。
「大方の予想はしていました。契約してもらえるだけありがたいという気持ちで。サインして来季、頑張るという一心です」と雪辱を誓った39歳の小笠原だったが、13年も出場22試合に終わり、年俸3000万円で中日に移籍した。
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