なぜスター選手は「巨人」を選ばなくなったのか…大山悠輔、石川柊太にフラれた「球界の盟主」にOBは「いまの巨人は“候補チームのひとつ”でしかない」と指摘

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 2016年、陽岱鋼と森福允彦と山口俊。17年、野上亮磨。18年、丸佳浩と炭谷銀仁朗。そして20年は梶谷隆幸と井納翔一。資金豊富で人気球団の巨人がFAで多くの優秀な選手を獲得し、アンチ巨人が「フェアではない」と憤った時代は、もう終わってしまったのかもしれない。近年のFAでは移籍先に巨人を選ばない選手が増えている。(一部敬称略)

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 2019年は美馬学と鈴木大地、22年は森友哉、23年は山崎福也の獲得に巨人は失敗。今季のオフは大山悠輔が阪神に残留し、石川柊太はロッテを選んだ。担当記者が言う。

「巨人は大山選手に6年総額24億円を超える大型契約を提示したと報じられました。さらに山口寿一オーナーが選手の名前は伏せた上で、FAで獲得に乗り出した選手に『お声掛けした選手はぜひ来ていただきたい』と異例のラブコールを送ったのです。しかし、大山選手も石川選手も巨人を選びませんでした。まだ甲斐拓也選手が入団する可能性は残っていますが、一部のスポーツメディアは早くも“巨人2連敗”と報じ、その衝撃を伝えました」

 野球評論家の広澤克実氏は、1985年にヤクルトに入団。90年代は“不動の4番”として活躍し、94年にFAを宣言すると巨人に移籍した。

 この頃の巨人は、実力と人気を兼ね備えた、文字通りの一流選手をFAで獲得していた。93年落合博満、94年川口和久、96年清原和博、99年江藤智と工藤公康……という具合だ。ヤクルトのスター選手だった広澤氏も「私がFAを宣言したのは、巨人のユニフォームに袖を通したかったからです」と言う。

テレビ中継の大きな影響力

「ヤクルトに在籍していた時は、ありがたいことにファンの皆さんから暖かい声援をいただいていました。チームにも何の不満もありませんでした。しかし、それと『巨人でプレーしたい』という強い想いは別です。当時はF1が人気で、何気なくテレビの生中継を見ていたら、専門家の方が『どれほど他のチームで優勝を積み重ねても、ドライバーはフェラーリに移籍したいと願うものだ』と解説され、『プロ野球選手がいつかは巨人でプレーしたいと考えるのと同じだ』と驚いたことがあります」(同・広澤氏)

 巨人の人気に大きな影響を与えていたのはテレビ、それも地上波の生中継だ。昭和の時代、テレビがプロ野球の全国中継を行うのは巨人戦だけと言ってよかった。それでもセ・リーグの5球団なら対戦相手として映される。パ・リーグだと全国中継は数試合あるかないかというレベルであり、基本的にはオールスターと日本シリーズに限られていた。

「私たち昭和のプロ野球選手にとって、子供の頃から巨人は12球団でも図抜けた人気を誇るチームでした。プロに入ってからも憧れを持ち続けることは珍しくなく、それが私たちの先輩である金田正一さんや張本勲さんが巨人に移籍した理由です。私は茨城県で生まれ育ち、高校は栃木県立小山高校に進みました。ですから巨人に移籍してバッターボックスに立つと、『茨城の友達や栃木の同級生はテレビを見てくれているかな』と思ったものです」(同・広澤氏)

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