ドン・ファン裁判で元妻に“無罪判決”の衝撃…元検察官の弁護士が「無罪もありうる」と予感した“第5回公判”での決定的証言

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裁判員裁判の意味

 まさに検察の完敗というわけだが、若狭氏は今回の無罪判決を「疑わしきは被告人の利益に」という近代司法の大原則が守られたと評価する。

「先日、私は裁判員裁判の弁護を担当しましたが、あまりにも裁判が形骸化しているので驚きました。本来、裁判は生き物のようなところがあり、法廷での証言や審理に応じて雰囲気や流れが変わり、それが次回の公判に影響を与えるものなのです。ところが最近の裁判員裁判は『この日はこの審理を行う』とスケジュールが厳しく決まっており、全ては事前の筋書き通りのようで、とても審理を尽くすような場ではありません。私は『こんなことが続けば、裁判員が冤罪、誤審に加担してもおかしくない』と危機感を覚えていました。実際に第一審の裁判員裁判は間違った判決だった、冤罪に加担してしまったと明らかになれば、裁判員制度は根幹から揺らぎます。今回の裁判で無罪判決が下ったことは、裁判員裁判の理念に照らし合わせても非常に価値のあることだったと思います」(同・若狭氏)

 検察側の控訴は確実と見られている。おまけに高裁は裁判員裁判ではなく、プロの裁判官だけで判決を下す。状況証拠の積み重ねとは言え、検察側の精緻な立証が高裁に認められることはないのだろうか。

高裁が有罪なら批判も

「判決文を読みましたが、率直に言って法曹家として疑問を感じる部分があったのは事実です。とはいえ、今後、新証拠が見つかるとは考えにくく、控訴審で検察側は同じ証拠で、さらに丁寧な立証に力を尽くすでしょう。それを高裁がどう判断するかということになりますが、一審で裁判員が市民感覚に従って『疑わしきは被告人の利益に』という大原則を守った無罪判決をひっくり返していいのかという大きな問題が生じます。もし高裁が有罪判決を下せば、批判の声も多いのではないでしょうか」(同・若狭氏)

 裁判員裁判は2009年5月に始まった。その前年の11月、最高裁判所の司法研修所は「裁判員裁判による一審の判決は、裁判官だけによる二審でも可能な限り尊重すべき」という研究報告書をまとめている。

デイリー新潮編集部

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