「玉川徹氏」と「SNSインフルエンサー」の3つの共通点

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テレビによるSNS批判の定番

 先の都知事選や兵庫県知事選、あるいはアメリカ大統領選挙でこれまで以上に注目を集めたのがSNSの影響力だ。その拡散のスピード、威力は味方につければ極めて心強い味方となる。一方で、マイナスの面も多く指摘されるところである。

 新聞、テレビ、雑誌といったいわゆる「オールド・メディア」とされるメディアから発せられている懸念の声をまとめると、以下のようになる。

「SNSの情報は真偽不明のものが多く含まれている。

 さらに偏った情報ばかりを受け取ってしまうリスクが高い。マスコミは一定のバランスを取ろうとするが、Xなどの場合、ユーザーが気に入りそうな情報だけを提供する。そのため、別の意見、見方を知らないままに、勝手に偏った『真実』を受け入れてしまうリスクがある」

 目下の教訓としては、次のようなことが常識的な見方とされている。

「ネット、SNSの情報に有益なものがあるのは間違いない。しかし常にその真偽、発信の思惑などを冷静に見ながら自分なりの真実を得ることが大切だ」

 しかしながら、こうした言説もまた批判の対象となりやすい。上に挙げたようなSNS、あるいはネットの「欠点」「弱点」はそのままブーメランのごとくマスコミにも返ってくる部分があるのは否定できないところだからだ。

 マスコミの情報にも真偽不明なものが含まれているのは事実だし、メディアによって特定の偏りがあるのも事実。多くの新聞やニュース番組はその偏りを売りにしているとすらいえる。そうした新聞とテレビばかり見ていれば、やはり偏った情報ばかりを大量摂取することになる。

 実際のところ、兵庫県知事選の後、特に強い批判の対象となったテレビの情報番組やその出演コメンテーターたちが、どの程度「ファクト(事実)」「フェアネス(公平さ)」を意識していたのかは怪しいところだろう。

突撃レポーター・玉川氏

 ノンフィクションライターの石戸諭氏の新著『「嫌われ者」の正体 日本のトリックスター』の中には、テレビ朝日の元社員で「羽鳥慎一モーニングショー」の人気コメンテーター、玉川徹氏に関する人物ルポが収められている。

 玉川氏は日本でも有数の人気を誇るコメンテーターといえる。彼の番組内での発言はあっという間にネットのコタツ記事へ加工され、多くの目に触れるのだ。なぜ一介の社員がここまで影響力を持つ存在となったのか。玉川氏と仕事をした「チーム玉川」スタッフらへの取材を通して描いたルポである。

 興味深いのは、ここでの玉川氏の周囲からのの評価、あるいは石戸氏による人物評が、今日SNSに対して向けられた批判と重なるところが多い点だ。

 石戸氏は同書の中で、玉川氏の特徴を以下の3点だと指摘している(以下、引用はすべて『「嫌われ者」の正体』より)

「第1に一貫した反官僚主義、第2に信念と視聴率の折り合い、第3に野党気質である」

 第1の特徴を示す実例は、玉川氏の「出世作」ともいうべき「公務員宿舎問題」だ。公務員宿舎が港区青山のような高級住宅街にあり、なおかつ格安の家賃というのはおかしいではないか。そんな問題意識から彼がレポーターを務める番組「スーパーモーニング」は「南青山住宅」をターゲットに絞って取材を重ねる。

「そこで生まれたのが、テレ朝スタッフの間で今も『伝説のショット』と語り継がれる名場面だ。

 2003年である。リポーター業も板についてきた玉川が、公務員宿舎の前で出てくる官僚に片っ端から声をかけて回った。その中に、声をかける前から全速力で走って取材を振り切った官僚がいた。玉川も玉川で『7万円ぐらいで住んでいるのはどういう気持ちですか?』などと問いかけながら、全力で追いかけていった。その姿をカメラマンも走りながら撮る。何も答えないが、官僚にもどこか後ろめたいものがあるのだろうと思わせる強い主張のあるショットが撮れていた。

 時に、映像は言葉以上に文脈を雄弁に伝えるツールになる。現場で得た実感をスタジオに持ち込み、熱のこもった口調で怒りをつけくわえれば強力な特集が出来上がっていく。玉川は著書の中で、官僚を『ウイルス』やがん細胞に喩(たと)えている。ウイルス最大の悪行である『無駄遣い』を検証し、視聴者に投げかける──。玉川の基本的なスタンスと闘い方は約20年前には完成していた。一連の官僚批判は大きな反響を呼び、玉川は一つのポジションを確立した」
 
 言うまでもなく、この手法は今日、YouTuberが実践しているものの原型ともいえる。「敵」を設定して突撃。相手の狼狽、失言を撮影してそのまま世に流す。見る側にその様子から何らかのネガティブな感情を喚起させる。

数字と事実にこだわる

 第2の特徴の「信念と視聴率の折り合い」とは何か。紹介されているのは、「チーム玉川」のミーティングなどで玉川氏が繰り返していた二つの言葉だ。
 
「数字を取ること」と「事実だけは間違えるな」である。
 
「『自分は数字が取れなくなったら、すぐに地位を追われる』と玉川は周囲に語り、番組の平均視聴率ではなく、自身が担当するコーナー視聴率を特に気にかけていた。分単位でグラフ化される数字を意識して、自分がやりたいことをやり、かつ視聴者に響くにはどうしたらいいかを考える」
 
 むろん事実を押さえつつ、数字を取るというのはテレビマンとして真っ当な姿勢である。しかしこれもまた「再生回数やPV(ページビュー)を狙う」という行為とどこが違うのかというツッコミは今日、避けられないかもしれない。フェイクと知りながら情報を拡散する者もいるが、一方で自らが伝えていることこそ真実であると確信を持って発信や配信をしている人も多くいるのだ。

野党気質

 そして第3の野党気質。言うまでもなく、これが玉川氏の根強い人気を底支えしている特徴である。彼のコメントをそのまま流用したスポーツ新聞のコタツ記事には、多くのコメントが寄せられる。時に炎上に近い状況も起きる。特に安倍政権に対する厳しさは、波紋を呼び続けたといってもいい。これについて元スタッフは石戸氏の取材にこう答えている。

「玉川さんは権力を批判するほうが盛り上がるだろう、とよく語っていました。国と一緒のことを言うのではなく、その反対のことを堂々と言いたいのが玉川さんの気質です。あれだけ歩調を合わせているように見えた民主党も政権に就いたとたん、一転して堂々と批判していた」

「権力の監視がマスコミの使命」という前提に立てば当然のことだろう。しかしながらここには、「では反権力側ならば常に正しいのか」という疑問が常につきまとうこととなる。論理的な正しさの前にスタンスがあっていいのか、ということだ。

ポピュリストの持つ力

 石戸氏はこう見ている。

「彼がテレビで語っていることは時の政権との相対的なポジションで決まる。政権が右と言えば左だと言い、左だと言えば右だと主張する。玉川はワイドショーの構造をよく知っている。視聴者に受けるのは、知的で論理的に正しいお行儀良いコメントではない。コメンテーターには感情を表現することが想像以上に求められる。テレビという感情を伝播するのにこれ以上ないメディアにおいて、現代に彼以上にこうした役をこなせる人はいない。感情を伝えるのもまた役割なのだ。(略)

 常に野党的なポジションから、その場の感情を乗せて、言葉を発することができること。これが『(玉川氏の)生きたコメント』の正体である」

 実のところ、論理よりも「反」という立場を重視する人はSNS上に溢れている。何らかの「アンチ」の姿勢を前面に出し過ぎる人たちの極端な物言いは、時に批判、時に嘲笑の対象ともなっていた。

 石戸氏は玉川氏とSNSとの類似性を見いだしてこう語る。

「私にはこうした玉川の姿勢は単純なリベラル派というよりも、SNSでシェアが広がっていく人々の立ち居振る舞いに近いように見えてしまう。右派であれ、左派であれ彼らは相対的に適切なポジションを取りにいって、一定の論理的な裏付けに加えて、あるいはそれ以上に気持ちを乗せたコメントを語る。(略)

 彼は『反~』との立場から言葉を発すること、論理や体系的な知識よりもその場の感情に執着する。そんな彼を何と呼ぶべきか。ぴたりとあてはまる呼び名がある。その意味において、玉川は時代を象徴するポピュリストタイプのメディア人と言えるように思う。(略)ポピュリズムは右派的主張とも、リベラル・左派的な主張とも矛盾なく結びつく」

 同書で石戸氏が述べているように、玉川氏が自ら取材して事実にこだわるという立場からの発言を心がけていたのは事実。一方で、同業者ともいえるコメンテーターには、自ら取材するといった経験や専門知識を有さず、それこそネットやSNSで仕入れた情報をもとに私見を交えて発言をする者も珍しくない。その点を忘れてのSNS批判では、今ひとつ共感を集めないのも無理のない話なのかもしれない。

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