厳しい判決が増えた「無理心中」裁判…昭和の法廷が“同情的”だったのはなぜか 「介護殺人」では令和のほうが“温情判決”が下される傾向に
懲役23年の判決
夫がギャンブル好きで酒を呑んでは暴力を振るい、離婚して子供を引き取った後も金融業者から夫の借金を返済するよう要求され、母親は将来を絶望して無理心中を決意した。
1989(平成元)年12月に大阪地裁で判決公判が開かれ、裁判長は「2人の子どもの命を奪った犯行は重大。自己中心的で身勝手な面は否定できない」と指摘したが、夫の借金や暴力に悩まされていた点を重視。求刑は懲役8年だったが、懲役4年と減刑した。
2022(令和4)年2月、産後うつと診断されていた20代の母親は子育てに自信を喪失し、5歳の長女と3歳の次女、生後9カ月の三女を絞殺。母親の手首や首には刃物で切ったと見られる切り傷があった。
今年6月に名古屋地裁の裁判員裁判では判決公判が開かれ、裁判長は「最愛の母の手で突如、将来を絶たれた混乱や苦痛を思うと言葉にできない」と指摘。弁護側は母親が事件前に「死んだら楽になる」との声が聞こえたと供述していたことなどから無罪を主張していたが、判決では責任能力と殺意を認定。懲役23年の重い判決を下した。
結びつきが強い日本の親子
なぜ昭和の法廷では無理心中に温情的な判決が下されることがあり、令和の法廷では厳罰化が進んでいるのか。日本人の死生観や家族観の変化が裁判にも影響を与えているのか、それとも他の理由によるものなのか、新潟青陵大学の碓井真史教授(社会心理学)に話を訊いた。
「判決の変化から日本人の死生観が変化していることと、さらに家族観の変化も浮き彫りになっていると考えます。1985(昭和60)年、カルフォルニアで日本人家族による一家無理心中事件が起きました。アメリカの法律や社会常識からすると、無理心中は罪のない子供に対する計画的殺人ですから、第一級殺人で起訴されました。ところが日本人は子供が憎くて殺したわけでなく、子供を愛するが故に起きた事件と考えます。そのため地元の日本人コミュニティから減刑嘆願書が出されたと記憶しています」
昭和の日本人は無理心中事件が起きると親の子に対する愛情を強く感じ取っていた。そのために法廷でも温情的な判決が下っていたと考えられるという。
「日本は欧米より親子の結びつきが強いと専門家も指摘します。日本の母親は子供と添い寝し、おんぶして家事を行います。幼い時から子供部屋に一人で寝るよう指示する欧米との違いは明らかでしょう。日本と欧米の親子関係は違うというたとえ話で、子供が自動車に轢かれそうになると、『日本の母親は子供を抱きしめるが、欧米の母親は子供を突き飛ばす』というものがあります。日本では子供が成人しても親と同居するケースが珍しくなく、親が大学の学費や結婚費用、マンションの頭金を出したりします。欧米では別居が当たり前で、映画やドラマなどでは成人した息子が久しぶりに実家を訪れ、『結婚したよ。彼女が妻だ』と紹介し、両親も笑顔で迎えるというシーンが普通に描かれます。しかし日本では考えられない状況でしょう」(同・碓井教授)
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