厳しい判決が増えた「無理心中」裁判…昭和の法廷が“同情的”だったのはなぜか 「介護殺人」では令和のほうが“温情判決”が下される傾向に

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 朝日新聞デジタルは12月1日、「『無理心中』は虐待だと知って 子ども635人が過去約20年で犠牲」との記事を配信した。こども家庭庁の調査によると、2004年1月から2022年度の約20年間で、父母など保護者が自殺を図った際、道連れに殺害された子供の数は635人。内訳は0歳が77人で最多、5歳が53人、6歳と9歳が50人と続いた。

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 記事では専門家も取材に応じ、「無理心中は親側に子供への明確な殺意があり、罪名も殺人罪が多い。非常に深刻な児童虐待」と指摘。だが日本では社会的関心が低く、子供にも生きる権利があることを積極的に啓発する必要があると報じた。

 この記事内容に異議を唱える人は皆無に違いない。ネット上でも「無理心中は虐待ですらなく、殺人でしょう」、「親のエゴで一緒に死ぬというのは絶対ダメ」といった投稿が圧倒的に多い。

 その一方で、極めて少数ではあるが「残したら子供はもっと不幸になると親は分かっている」と無理心中に理解を示す投稿も散見される。そして過去の判例を調べてみると、昭和の時代には無理心中を決意して我が子を殺し、自分だけ生き残った親に“温情判決”が下されることは珍しくなかったことが分かる。注目すべきは、時代によって判決に温度差が生じているように見えることだ。

 1987(昭和62)年4月、20代の母親は2歳の長女を抱いて東京都の荒川に飛び込んだが自分だけ助かってしまう。夫との関係は悪く、夫の親族は一方的に離婚を要求していた。実の両親も夫の両親と不仲だったため娘を助けようとはせず、孤立していた母親は無理心中を決意した。

執行猶予と実刑判決

 殺人罪で起訴され、同年11月に東京地裁で開かれた判決公判では懲役3年、保護観察付き執行猶予4年の判決が下された。裁判長は「母親の手で娘の命を奪った責任は重いが、夫や親族ら周囲の人々の配慮不足など同情の余地もある」と理解を示した。

 他方、2021(令和3)年2月、30代の父親は10歳の長女を抱きかかえて奈良県のダム湖に入ったが、やはり自分だけが助かった。父親は自分の父親、長女にとっては祖父が経営する料理店で働いていたが、厳しい叱責に耐えかねて自殺を決意した。

 父親は妻と子供3人の5人暮らし。長女には障害があり、「いなくなれば妻の負担が減る」と考えて長女との無理心中を選択した。殺人罪で起訴され、2021年12月奈良地裁の裁判員裁判は判決公判で懲役7年の実刑判決を下した。裁判長は被告を「身勝手で短絡的な事情をくむことはできない」と厳しく断罪した。

 昭和62年の裁判で法廷は無理心中事件に「同情の余地がある」と執行猶予の判決を下したが、令和3年では「身勝手で短絡的」と実刑判決を下した。

 複数の子供が被害に遭った場合の判例も見てみよう。判決時に40代だった母親は1987(昭和62)年9月、和歌山県内で14歳の長女と11歳の長男を絞殺。自身は崖から飛び降りて重傷を負ったが助かった。

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