お誕生日を迎えられた「雅子皇后」 「紀子妃」との評価がこの10年で“逆転”した理由を、識者が語る

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10年前と評価が逆転

 他方の紀子妃はといえば、

「ご結婚以来、過剰と思えるほど、皇室の環境に適応されてきました」

 とデスクが言葉を継ぐ。

「公務にも休まず取り組まれた上、当時の天皇・皇后両陛下の元を孫の眞子さん、佳子さまを連れて頻繁に訪れていらっしゃいました。天皇家、東宮家の3家族で会食された際も、東宮家が帰られた後、1時間以上も残ってお話をされたり、陛下が入院された際も、東宮家よりも先にお見舞いに行こうとされたり……。宮家においても、美智子さまのなさりようを真似され、その通りふるまってこられましたね」

 何より、東宮家に男子が生まれぬことから皇統の危機が叫ばれ、皇位継承についての議論が進む中、06年には悠仁さまをご出産。「皇統を救った」とまで評されたのであった。

 夫の秋篠宮殿下も04年、兄君の“人格否定発言”について「事前に天皇陛下と相談すべきだった」と記者会見の場で苦言を呈された。

「内々におっしゃるのならともかく、国民全体にアピールするように述べられたことで、まるで東宮家を見下しているかのような印象を与えました。ただ、一般には“毅然とした弟君”と映り、評価が上がったのも事実です」

“逆転”の要因は

 その後、雅子さまは、まだ万全とは言えないものの、病状が徐々に回復。

 愛子さまも中高時代の「激やせ」騒動や「遅刻癖」など、時折トラブルはあったものの、日常を取り戻された。学習院大学に進学し、学生生活を謳歌されたのは周知の通り。

「逆転」には、さまざまな原因が考えられるが、

「やはり“親子の関係”が、大きな要因でしょう」

 と述べるのは、皇室ジャーナリストの神田秀一氏である。

「愛子さまは一時、難しい時期もありましたが、その間も、母娘でしっかりとした対話をされてきたのではないでしょうか。日常が戻った後、愛子さまは批判に耐えられてきたご両親の苦しい姿をご覧になっているだけに、感謝の念を強く抱かれた。それが20歳のお誕生日の文書での“できる限り両陛下をお助けしていきたいと考えております”とのお言葉に繋がったのだと思います」

 それに比べて、秋篠宮家は、2017年の「小室問題」をきっかけに親子の対立が露呈した。ご夫妻は結婚に否定的。佳子さまは姉の眞子さんを応援する側に付いた。

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