お誕生日を迎えられた「雅子皇后」 「紀子妃」との評価がこの10年で“逆転”した理由を、識者が語る

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 12月9日、雅子皇后が61歳のお誕生日を迎えられた。

 それに際し、医師団が、現在の治療の様子について、見解を公表している。皇后陛下のこの1年のご活動については、

〈本年は、都内行幸啓につきましては、お一方でお出ましになった5月の全国赤十字大会、両陛下でお出ましになった4月と10月の園遊会、8月の全国戦没者追悼式などを合わせ、32回に及ぶお出ましをなさいました。地方行幸啓につきましては、石川県(2回)、岡山県、佐賀県、岐阜県、大分県にお出ましになりました。さらに、6月には、丁寧にご準備をなさり、国賓として英国をご訪問になりました〉

 国内外でのご活動に精力的に取り組まれたご様子がわかる。

 一方で、医師団はこうも述べている。

〈皇后陛下には、ご回復の途上にあり、依然としてご体調には波がおありです。そのため、大きい行事の後や行事が続いた場合には、お疲れがしばらく残ることもあります。医師団としては、そのような中でお疲れが残らないよう、ご散策などのご運動や気分転換のためのお時間を含め、十分なご休息をお取りいただきたいと考えております〉

 一歩、一歩ということなのだろうが、ご回復への道を歩まれていることは間違いなさそうだ。

 そんな皇后陛下に対し、世間の目は概ね好意的なように見える。世論調査では「女性天皇」への賛成が9割近くに達するものもあるなど、次の御代での「愛子さま」即位を求める声も高まっている。これはすなわち、天皇家への国民の信頼の表れと見ても良いかもしれない。

 一方で、それと反比例するように、秋篠宮家を巡っては冷ややかな目線も感じられる。9月11日、紀子さまはお誕生日に際して公表された文書で、秋篠宮家へのバッシングについて、「心穏やかに過ごすことが難しく、思い悩むことがあります」と記されたほどだった。

 しかし、時計の針を10年以上前まで巻き戻してみよう。天皇家、すなわち当時の東宮家は、雅子さまのご病気、愛子さまの小学校での“登校トラブル”もあり、批判的な視線を向けられることが少なくなかった。

 対してそれと比較されるように、秋篠宮家は「将来の天皇」である悠仁さまがご誕生になられたこともあり、存在感が大きく増していた。

 現状の両家を巡る状況とは、真逆の立場にあったわけだ。10年間で何があったのか。なぜ「雅子さま」と「紀子さま」のポディションは“逆転”したのか。

 これについて「週刊新潮」は4年前、特集記事で考察している。以下、両家の来し方を振り返り、その原因を改めて探ってみよう。
(「週刊新潮」2021年12月23日号掲載記事を一部編集しました)【前後編の前編】

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 皇太子妃時代の2003年暮れに体調を崩され、「適応障害」と診断された雅子さまは、以後、宮中祭祀やご公務を度々欠席されるようになった。

「しかし一方で、ご家族で高級レストランへ外食に行かれたり、スキー旅行へと出かけられたりすることもあったため“公より私を優先している”などの批判に直面されてきた。公衆の面前で“税金泥棒”との言葉を浴びせられたこともあったほどです」(ベテラン皇室担当デスク)

 10年には、学習院初等科2年生だった愛子さまが、学校での友人とのトラブルをきっかけに登校拒否に陥る。以来、雅子さまは登下校の付き添いや、授業中も校内で待機する「一人授業参観」を1年以上続けられ、これまた“私優先”との批判を招いたのであった。

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