求心力が低下の自民・森山幹事長、悪名高き「番記者」が担当を外された理由
衆院選で大敗した責任を問われ、求心力は低下する一方といわれる自民党の森山裕幹事長(79)。そんな折、彼の“親衛隊”といわれていた読売新聞の番記者が担当を外れた。一体、何があったのか。
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30年ぶりに少数与党に転落した自民党では、石破茂首相(67)だけでなく、森山幹事長への風当たりも強まっている。11月21日には、自民党の関東7都県連の青年部・青年局が開いた会合で、埼玉県連が森山幹事長の更迭を求めた。
「一義的には、選挙に敗れた責任は幹事長が取るものですからね。今後も野党相手に厳しい政権運営を強いられるし、森山さんは現在、早くも大きなストレスを抱えているように見えます」(政治部記者)
“先生の夢を見ていました”
番記者も森山幹事長の采配を本格的に取材し始めていた11月19日、読売新聞のA記者が突如、配置換えになった。
「彼は2年以上も森山さんを担当していた最古参の番記者でした。とにかくこびへつらう質問ばかりするので、周りはあきれていましたね。以前、少しだけ森山番を離れていた時があったのですが、現場に戻ってくるや否や“お会いできなかった間、先生の夢を見ていました”と言い放ちました。まるで森山さんの“親衛隊”でしたよ」(前出の記者)
昨年4月、森山氏の国会議員在職25年を記念して、「祝賀新聞」と題した表裏一枚のチラシが関係者に配られた。これを作成したのもA記者だった。
彼はこの紙面上でも、〈一瞬で全てを見抜くまっすぐな眼――。初めてご挨拶させて頂いた昨年9月、「邪念も含めて見透かされる」と背筋が伸びたのを思い出します〉と、森山氏をヨイショしていた。
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