令和の「西成暴動」は起きず 「あいりん総合センター」野宿者を強制退去の一部始終

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変わりゆく西成

 1970年大阪万博の建設時は、多くの者がこの地から働きに出たという。だが、もはや往時の面影はなく、駅の反対側を見遣れば地上14階の星野リゾートの立派なホテルがそびえ、インバウンドの外国人が楽しそうに周辺を散策する。

「あいりん総合センター」の跡地はどうなるのかというと、西成労働福祉センター、あいりん労働公共職業安定所などの労働者向けの施設を建て替えるほか、福利施設やオープンスペースなどが誕生する予定だとか。

 昭和から平成を経て、令和6年、西成の今であった。

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