三億円事件“有名すぎるモンタージュ写真”は「犯人に似ていない」…昭和の名刑事・平塚八兵衛が迫った「真の犯人像」

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モンタージュは犯人に似ていない

 犯人の推定年齢と共に、平塚氏が初動捜査で「大きな誤りだった」というのが、あのあまりにも有名な、犯人のモンタージュ写真だ。日本全国に流され、交番や警察署、駅などに貼られたあの顔……だが、昭和の名刑事は「あの写真は犯人に似ていない」と言い切っているのである。

〈モンタージュ写真が、いわゆる被疑者写真をモトにして作られることはご存じだろう。目撃者は無数の被疑者写真を見て、顔の輪郭はこれ、眉はこれ、口元はこれといった具合に部分部分を選び出す。それを合成したものがモンタージュ写真となるわけだ〉

 三億円事件で公開された、白バイ警官のヘルメットを被ったモンタージュ写真が公開されたのは、発生から間もない昭和43年12月22日だった。

〈事件の目撃者四人が皆が皆、しかと犯人を見ているわけではないのである。だいたいモンタージュで成功したという話はあまり聞かない。むしろ私にいわせれば、モンタージュなんかよりは似顔絵のほうがいいのではないかと思う。目撃者の印象というものはそれほど正確ではありえないし、それにモンタージュをつくるために数多くの被疑者の写真を見ているうちに錯覚を起こしやすい。そしてでき上った写真には、幅というか深みというか、そういうものがない。その点、似顔絵なら、見るほうも、これは似顔絵だということで、幅を持って見てくれる。想像力だって働く〉

 前述の「銀行内部の捜査」をしていた時、平塚氏は現金輸送車に乗って、犯人を直に見ている4人の行員から細かく事情聴取をしている。

〈いうまでもなく、モンタージュはこの四人の証言によって作られたものだ。調べ直してみて私はビックリした。四人の話はこうだったのだ〉

A「車の運転席の客席の間にある窓ワクが邪魔で、犯人の顔はよく見えなかった」
B「瞬間的に見ただけでよくわからない」
C「自信がありません」
D「鼻については自信がない。他の者がいっているのを参考にして想像で作った」

〈モンタージュの作成は、Dの証言を中心にして行われていた。事件当日、この男がいちばんハッキリした証言をしたのである。しかも私が三億円事件の捜査に携わるキッカケになったS少年(連載第2回を参照)の面通しの際には「鼻はよく似ていて八五%の確率がある」と証言していた。それ なのに、私が食い下がってみると、まるで正反対のことをいい出した〉

 ここでも、決して平塚氏は銀行員を責めてはいない。捜査に協力するためにも、何らかの証言が必要だった行員たちの心理状態に思いが至らなかった捜査員に問題があるとしている。

〈この時から私は、ことあるごとにモンタージュは犯人に似ていないといい続けてきた〉

 しかし、あれだけ世間に広く流布したモンタージュ写真の威力は凄まじいものだった。

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