三億円事件が未解決なら「自殺でもしなくちゃならねえ」…昭和の難事件と対峙し続けた伝説の刑事「平塚八兵衛」という男

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三億円事件捜査へ

 18年に捜査第1課に移ってからは、10人の女性が痛ましい被害にあった小平事件(昭和20年)、戦後の混乱期に12人が毒殺された帝銀事件(同23年)、自殺か他殺で大論争となった下山事件(同24年)、“戦後最大の誘拐事件”と呼ばれた吉展ちゃん事件(同38年)といった、昭和史に深く刻まれる事件の捜査に従事した。

 吉展ちゃん事件では、それまで「犯人」と有力視されながら 、捜査第1課が二度も調べて自供に追い込めなかった小原保に対し、独自捜査の結果を突きつけて、見事に全面自供に追い込み、2年越しで事件解決に導いた。これにより「落としの八兵衛」をより印象付けた。捜査には一切の妥協を許さず、「鬼の八兵衛」と呼ばれ、そして捜査のためなら上司とのケンカも厭わなかった。

〈「組織には向かない男」
 これが私に貼られたレッテルだ。自分ではさほどとは思わないが、上司や仲間が盛んにそういうのだから仕方がない。でも、皆の意見と違っても、自分が正しいと思うことを大声で主張するのが「組織に向かない」なら、私は確かにそういう男だ。上司にも遠慮なく私は食ってかかる。妥協はしない。徹底的にケンカもする。どうしても、お互いに歯車がかみ合わず、いつもケンカになってしまう上司もいた。こういうのを運命の糸とでもいうのか〉

 その「いつもケンカになってしまう上司」とは、武藤三男氏。「吉展ちゃん事件」では、捜1課長代理として平沢氏を捜査本部に抜擢、徹底した捜査で事件を解決に導いた。その縁で、「三億円事件」当時に捜査1課長になっていた武藤氏は、特捜本部に平塚氏を呼び寄せるのである。
【第2回「『三億円事件』有力容疑者は“警察官の息子”とされるも…『やつはシロだ』と昭和の名刑事・平塚八兵衛が判断した根拠とは」事件の最大のナゾとされる、現職警官の息子のミステリー】

デイリー新潮編集部

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