三億円事件が未解決なら「自殺でもしなくちゃならねえ」…昭和の難事件と対峙し続けた伝説の刑事「平塚八兵衛」という男

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昭和の名刑事

 今年は「警視庁創立150年」の節目の年である。同庁HPの特設サイトでは、これまでの歴史と共に、時代を反映した数々の事件が列記されている。奇しくも来年は「昭和100年」にあたる。大戦から占領下を経て、急速な高度成長を遂げた日本だが、忘れる事のできない事件が多かったのも昭和だった。

 かつて警視庁に、そうした数々の重大事件と対峙した、平塚八兵衛(1913~1979)という名刑事がいた。「落としの八兵衛」「ケンカ八兵衛」「鬼 の八兵衛」などの異名を持ち、昭和14年の巡査拝命から巡査部長、警部補、警部、警視まで、すべて無試験で昇進。昭和18年の異動から退職する昭和50年3月末まで、捜査第1課勤務一筋という経歴を持つ、まさに“職人刑事”だった。

 30余年も同一所属のままというのは、現在の警察では考えられないが、こうした経歴が許されたのは、何といってもその実績。平塚氏が在職中に手がけた殺人事件は124件。警察では最高の表彰とされる警察功労章を帝銀事件(後述)で、警察功績章を吉展ちゃん事件(同)で受賞している。しかし、何より平塚氏といえば、定年まで捜査に関わった三億円事件(昭和43年12月10日発生、同50年12月に時効成立)だろう。

 平塚氏は、警視庁を退職して(昭和50年3月)からほどなく、『週刊新潮』で「八兵衛捕物帳」という連載で現職時代を回顧している(昭和50年4月17日号~同12月25日号)。計37回の連載の中で、やはり時効を目前に控えた三億円事件については、何度か誌面を割いて、捜査の舞台裏を語っている。

 間もなく事件発生から56年――。名刑事が関わった、昭和の重大未解決事件の裏側を平塚氏の経歴と共に探っていきたい(文中引用箇所はすべて『週刊新潮』連載より。全3回の第1回)。

〈三億円事件が解決しなければ私はつらい、などというものではない。三億円事件がもしこのままになってしまったら、私は自殺でもしなくちゃならねえ、という気持ちでいる。このことは警視総監にもいってある〉

 という平塚氏だが、まずは警察官を目指した経歴から振り返ってみたい。その動機からしてふるっているのだ。

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