主役より“脇”が気になった少年が切り開いた音楽の道――伊藤銀次、ビートルズとの出会いとプロへの第一歩
伊藤銀次(73)は、ギタリストとしてもさることながら、さまざまな顔を持つ。昭和~平成の日本のお昼を彩った番組のオープニング曲の作曲者、沢田研二やアン・ルイスのヒット曲のアレンジャー、人気バンドのプロデューサーetc. 幼い頃からテレビを観ると番組の主役よりも脇役やスタッフ、制作会社に目が行く子供だったといい、そうした俯瞰的なものの見方が今日の伊藤を形作ったのかもしれない。日本のロックやポップスの歴史に寄り添ってきたその音楽観はいかにして形成されたのか。
(全2回の第1回)
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【写真】77年、82年、そして現在…写真で振り返る「伊藤銀次」の音楽人生
主役より悪役が気になって…
歌謡曲好きの父が営む歯科診療所の2階に住んでいた幼少時代は、途切れず流れる階下からのメロディに耳を傾けていた。小学校に入り放送部に所属すると「ドナウ川のさざ波」(イヴァノヴィチ)や「金と銀」(レハール)などのクラシックに触れ、毎日聴くようになった。
「親がリーダーズ・ダイジェスト社の10枚組ぐらいのクラシック全集を買ってくれたんです。当時は分かっていませんでしたが、クラシックっていうのは遥か昔のポップスなんです。学校の筆記テストは全然ダメでしたけど、スペリオパイプ(リコーダー)やハーモニカは大好きでよく練習してました。音楽好きの子でしたね」
テレビっ子でもあり、父が大好きだったクレージーキャッツや坂本九が「ザ・ヒットパレード」(フジテレビ系)で歌う日本語の洋楽に憧れた。「月光仮面」「七色仮面」などのヒーロー番組の主題歌にもハマり、ラジオドラマで聞いた「赤胴鈴之助」では主題歌を歌っていた上高田少年合唱団にも入りたいと思っていた。
「友達は主役の月光仮面を見るんだけど、僕は悪役なんかにも目が行っちゃう。主役のキャラクター性は意外と単純。格好良くてスターですから。でも脇役はシブい。しかも、あるドラマではすごい悪役をやっていた役者が別のドラマではいい人になっていたり。それから月光仮面や『快傑ハリマオ』の制作は宣弘社プロダクション、『七色仮面』は東映制作とか、そういうことに気付くと面白くなって。後に音楽を本格的に聴くようになってからも、曲を作っている人とかバックミュージシャンとか、その音楽が作られた背景とかがすごく気になっていました」
ビートルズとの出会いが音楽を始めるきっかけに
多くのミュージシャンに衝撃を与えたザ・ビートルズとは、中学時代、テレビの5分番組だった国際ニュースの中で“初対面”を果たした。「欧米で吹き荒れるビートルズ旋風」などと題された映像には、飛行場に到着した4人を迎える熱狂的なファンの姿があった。
「洋楽をよく知る友達に聞いたら『いや、これはすごいよ』と言うのでレコードを借りました。当時は親からロックなんて不良のものだから近づいちゃいけないなんて言われて。言いつけを守っていましたが、レコードに針を下ろした瞬間、味わったことのない熱が体の中に沸いてきた。こんな音楽は聴いたことがない。確かに一番多感な時期でしたが、それからはもうあんまり勉強もせず、音楽命になっちゃった(笑)」
情報を求めてラジオも聞き始めた。洋楽のリクエスト番組などを新聞のラジオ欄で全てチェック。ビートルズだけでなくザ・ビーチ・ボーイズ、ザ・ローリング・ストーンズ、ザ・ホリーズといった英米バンドの曲に加えて、映画音楽やジャズの世界からのヒット曲などを全身に浴びるように聞きまくった。
「もう本当に雪崩のようにいろんな音楽が入ってきた。そういう情報を書き留めるノートを作り、ラジオをかけながら、聴いたことない曲がかかると一生懸命タイトルを書き取って。部屋に親が来たときには勉強ノートの下にその情報ノートを隠しました。これも後から分かりましたが、音楽好きは全世界的にみんなそうだったんです。それまでに全くなかった新しいものだったから」
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