「遺族には会いづらいね。やっぱり親の仇だもんね」 “力道山を刺した男”が明かしていた「事件」の一部始終

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 1963(昭和38)年12月15日、プロレス界の王者・力道山が39年の短い生涯を閉じた。屈強な外国人レスラーを空手チョップでなぎ倒す彼こそ、まさに戦後が生んだ大ヒーローである。そんな彼が、東京のナイトクラブで若い暴力団員にナイフで刺されたのは死の1週間前、12月8日夜のこと。直接の死因は入院先の山王病院で併発した腹膜炎だった。

 昨年5月、この暴力団員・村田勝志氏(2013年4月没)を事件前から事件後まで追ったドキュメンタリー『力道山を刺した男 村田勝志』(かや書房)が上梓され、大きな話題を呼んだ。生前の村田氏は事件についてあまり多くを語っていないが、事件から四半世紀を経て昭和が終わった1989年、「週刊新潮」に事件の一部始終を語っていた。

(「週刊新潮」1989年2月9日号「昭和史あらしの果て」をもとに再構成しました。文中の年齢、肩書き等は掲載当時のものです。文中敬称略)

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人の足を蹴っ飛ばしやがって

「あれは(昭和)38年の12月8日。夜の11時ごろだったな」

 その日、住吉連合会「大日本興業」の村田勝志組員は、日ごろ用心棒を務めていた東京・赤坂のナイトクラブ「ニュー・ラテン・クォーター」にいた。連れは銀座のクラブに勤める2人の女性。

 事件は、その彼がトイレに立った時に起こった。力道山はこの日、夕刻から赤坂の料亭で酒を飲み、現場となった店に着いた時にはかなりの酩酊状態だった。

 ともあれ、その時の様子は、本人によるとこんな具合だった。

「で、トイレの前に行くと、力道山が店の女の子と何かやっている。口説いてたみたいなんだな。が、いい返事が聞けなくて、力道山はかなり血が上っていたようだった。俺は力道山の後ろを通ってトイレに入ったんだが、その時、いきなり力道山が後ろから俺の襟首をつかんで、『おい、この野郎! 人の足を蹴っ飛ばしやがって!』と怒鳴ったんだ。ぶつかった記憶は俺にはなかったが、少しは足が触れたかも知れなかったな」

 それがすべての始まりだった。

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