「ひとり欠けるたびに自分の身体の一部が欠損したような気に…」 横尾忠則が同級生との想い出を振り返って考えたこと
この間、久し振りに郷里の西脇(兵庫県)に行ってきました。コロナ以後では初めてです。僕は10代まで西脇にいましたが、70年前の面影は全くありません。町から人が消えたように、人影がまばらで、車だけが国道を通り過ぎて行きます。
かつては織物の産地で地方から出稼ぎに来た女工さん達が1万人もいて、日曜日になると町は若い女性で溢れていました。家の近くには旭町通りという商店街があって、いつも賑わい、辺りはお化粧の匂いが漂よっていて、本当に活気のある町だったのですが、今ではその商店街には人っ子一人もなく、シャッター街で、昔の記憶にある店の看板が傾いていました。
ホテルの部屋から眺める町全体もなんとなく化石が立ち並んでいる感じで、動いているのは町を通過していく車だけです。山に囲まれた盆地のような町で、昔はどこからでも織機がガチャ、ガチャ音を立てて如何にも町の繁栄を印象づけていました。そんな活気が僕の内部にエネルギーを沸き与えて、それが絵の原動力になっていたように思います。町のあちこちでいつも何かが創造されていたのです。
それが今では、町全体が老化してしまったようにしか目に映らないのです。僕が子供の頃には町の周囲を田畑が取り囲んでいました。田畑を流れる小川にはいつも沢山の子ぶななどが泳いでいて、学校から帰ると、網とバケツを持って毎日のように小川の畦道を走り廻っていました。そんな光景が今でも想い出されるのですが、現在は造成されて田畑は消えて、住宅地にとって代わられています。しかしそんな場所にも人影がないのが不思議でなりません。時々見受けられる人影の大半が老人です。かつて店を構えていたらしい痕跡はありますが、まるで廃墟にしか映りません。
とにかくどこに行っても人影がないのです。なんともうら寂しい限りです。古里に対するノスタルジーのような気持を抱いて帰郷したものの、そんなノスタルジーさえ消滅してしまうほどの幻滅が身体の奥から沸き起ってくるのです。
子供の頃、父とよく川へ出掛けていました。町をはさむように流れる加古川と杉原川が合流し、丁度Y字形になった所に鉄橋がかかり、その下に芝生の場所があります。今回、10人以上の同級生と会う約束でその場所に行ったのですが、その内の4人は病気のために来ることができなかったようです。
全員が僕と同年の88歳です。老齢化した昔の同級生も、次第にその数が減る一方で、コロナ以前に集まって食卓を囲んだ20人近くも、いつのまにか10人に減ってしまっていたのです。コロナ以後には他の同級生を含め随分沢山亡くなっていることを知り、なんとも寂しい限りです。
以前にもこの場所で何度か記念写真を撮ったのですが、その時は男性が6人いたのに、今回は2人です。同級生は特別の関係で、どこか一心同体の部分があります。ひとり欠け、2人欠ける度に自分の身体の一部が欠損したような気になります。
10年ほど前、神戸に僕の美術館が開館し、展覧会のオープニングにわざわざ西脇から沢山の同級生が駆けつけてくれたのが、ついこの間のように思え、そんな元気な姿にはどこにも老人の面影がなかったことに、こちらも勇気を与えられて、彼等と一緒にまだ生きていけそうな気分になったものです。
ついこの間のように思える光景に思わずノスタルジックになってしまいます。どこかで昔の高校時代に時間が静止してしまっているのですが、逆に若かったあの時代を回想し、あの時代に生きている気持が老化を食い止めてくれているような気がして、僕はこうして今はないあの昔の風景の中で思わず、あの時代を共有した同級生と会う必要をなぜか感じるのです。
邂逅時間はほんのひとときで、挨拶もほどほどに西脇を去ってしまいましたが、場所というのは不思議な存在だと思います。存在しているがどこか非存在な、実に不思議なもののような気がするのです。存在を非存在なものに変えてしまうのは時間だと思います。時間は止まってくれないのです。自分の想い出だけが止まっているのですが、かつての現実が時間によって非現実的なフィックションに変えられてしまうのです。
そして現実の自分とフィックション化された自分、二つの自分をひとつに結びつけようとするのですが、どうしても結びつきません。同級生の人数も欠け、語る言葉も昔のまま一歩も進歩していないが、それがいいのです。
とにかく不思議な体験としかいいようがないのですが、僕の記憶の風景は昔の西脇にストップモーションされたままです。やがて、この間会った同級生も早いか遅いか、次元を異にした場所にテレポーテーションすることでしょう。そして第二のステージで再会することができるのかわかりませんが、魂の糸だけは結ばれているような気もします。それもいずれは宇宙の彼方に、ひとりひとりの想いの場所に飛翔していくのでしょうか。寂しい話になってしまいました。