【急逝から24年】「美白の女王」鈴木その子さんの「死化粧は黒だった」は本当か? 実妹が明かしていた不謹慎な噂の「真相」
日本の美容史を振り返ると、いつの時代も「白い肌」は人気だったようだ。だが、90年代の「美白ブーム」は料理・美容研究家の鈴木その子氏の存在あってこそといえる。そんなカリスマ的人気を誇った「美白の女王」が肺炎で急逝したのは、ちょうど24年前、2000(平成12)年12月5日のことだった(享年68)。
この直後、鈴木さんの死化粧について奇妙な噂が流れたことをご存じだろうか。死去から6年後の2006年、その子さんに死化粧を施していた実妹・登美子さんが「週刊新潮」に真実を明かした。
(「週刊新潮」2006年3月2日号「50年の50人 『死化粧は黒』と噂された美白の女王『鈴木その子』」を再編集しました。文中の数字等は掲載当時のものです。一部敬称略)
***
白さはタレントとしての生命線
まるで白塗りの壁といったらよかろうか。生前の彼女がテレビに登場する時はいつも真っ白の顔だったから、お茶の間では“白塗り仮面”とも呼ばれていた。芸能評論家の宇都木員夫氏は言う。
「彼女と初めて出会った人はたいがい、びっくり仰天しましてね。そんなインパクトの強さが、まさに彼女のテレビタレントとしての生命線だったのです」(宇都木氏)
ただ単に、白いだけではない。黒々としたアイラインで強調された大きな目と、真っ赤な口紅で縁取られた唇が顔面の白さを強調しているのだ。それに、独特の髪型に結い上げた長い黒髪、今時はコスプレ店でしかお目にかかれないような派手衣装も、彼女の存在を際立たせた。
カリスマ的人気を誇った創業者
「これで、あの“鈴木その子”の出来上がりというわけですが、それは歩く広告塔そのもの。おかげで本業の方も順風満帆だったのですから、何も言うことはありませんでしたね」(宇都木氏)
彼女が美白化粧品と美容食を製造販売する「トキノ」(現在は「SONOKO」)という会社の創業者だったことは、よく知られているが、
「ホワイト・イズ・ビューティフルを謳い文句にする『SONOKO』の化粧品や食材だけを使用している会員が、今でも全国に28万人もいるのです。生前の彼女のカリスマ的な人気がいかに凄かったか、この数字は、それを如実に示しています」(美容ジャーナリスト)
しかし、そんな彼女が亡くなった後、こうした会員達の間で囁かれたのが“その死化粧は黒かった”という噂だったのである。
[1/2ページ]