目の前で女性ふたりが殴り合い…修羅場続きモテ男の「苦悩」 始まりは高校時代の略奪事件

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【前後編の前編/後編を読む】なぜモテる?結婚後も「女社長」「専業主婦」らと次々に “オレって孤独”とつぶやく40歳夫が達した境地

 元祖プレイボーイと言われた「昭和のモテ男」、俳優の火野正平さんが11月14日に亡くなったと発表された。享年75。最初の妻とは離婚しないまま、現在のパートナーと娘ふたりに見守られて最期を迎えたという。45年も前のことだが、あのころは連日、彼を芸能リポーターが追い続けた。次から次へと愛人の噂が絶えなかったからだ。追われても彼は、必ず立ち止まって向けられるマイクに言葉を発した。どことなくでれっとした笑みを浮かべ、怒ることも逃げることもなかった。マイクを向けているほうが笑ってしまうようなことも多々あった。まさに人たらしだった。

 火野さんとつきあい、のちに別れた女性たちの中で、彼を悪く言った人は誰もいない。私自身、彼とつきあっていた女優にインタビューしたことがあるが、別れたのは「彼に他に好きな人ができたと察したから」で、そう水を向けたら「うん」と悪びれもせずに答えたという。そして彼女は「彼が幸せになるなら」と身を退いた。女性にそう思わせるのは、彼が目の前の女性をとことん愛したからだろう。大事にされ、愛されたことがわかっていれば、女性は男の最後のわがままを聞き入れるものかもしれない。いや、むしろ、自分が去ったほうが彼のためだとさえ思うのだ。

「僕は女性にかけるエネルギーが足りなかったんでしょうね」

 しゅんとした表情で、塩見裕造さん(40歳・仮名=以下同)は言った。まだ40歳なのに、かなり年上に見えるのは、「これまでさんざん苦労してきたから」だという。女難の相があるんですと彼はつぶやく。そういうところが潔くないのだろう。

「女好きなんだけど、女で失敗ばかりしているヤツがいる」と知人に紹介されたのが裕造さんだ。確かに無防備な雰囲気が女心をくすぐるのかもしれないが、別れ際にはほとんど修羅場になるというのが興味深くて会ってみた。

「女って怖い」

 裕造さんは2度の結婚と離婚を経て、現在は独身だ。「久々に完全フリー」だと笑った。最初の「失敗」は、高校生のときだ。友人とつきあっている同級生から呼び出され、「本当は私、裕造くんが好きなの」と告白された。彼自身、彼女が好きだったから、その告白を受けいれてつきあい始めてしまう。友人が気づかないわけはなく、殴り合いのケンカになった。彼女はどちらからも逃げ、結局、ふたりともフラれた形になったが、その後、彼女の妊娠が発覚。周りが気づかないうちに中絶できる期間は過ぎ、出産した。ところがその子は、友人の子でも裕造さんの子でもなかった。

「女って怖い。そう思いました。こっちは学校を中退させられるし、親からは勘当同然になるし。もちろんそういう関係になったのは僕の弱さですが、ものすごく体を密着させて話したり、今日は親がいないから遊びに来てと言ったりする子だったんですよ。それに乗ったおまえがバカだと父親には言われました」

 ごく普通のサラリーマン家庭に育った裕造さんだが、子どものころから異性への関心は高かった。それに気づいた両親は、彼が見るテレビ番組を制限した。そうなるとますます関心は高まるばかり。小学生のころから地元の公立図書館に行って、文学という名前の「エロ小説としか思えない」文章を読んでいたと彼は笑った。親が堅物であればあるほど、子どもは親が禁じる方向に興味の触覚を伸ばしていくのかもしれない。

 高校を中退させられた彼は、大検を自力で取得、受験を経て19歳のとき大学に入学した。

「女性には気をつけよう。人生がおかしくなってしまう。そうは思ったんですが、大学に入るとそれなりに楽しくて、ついうっかり二股をかけて女性に殴られたりしていました。考えると本当に僕は女性での失敗が多いですね」

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