「皇族費は現状の倍額の3050万円に」 信子さまが新たな家を創設なさる可能性も 「彬子さまとのあつれきが表面化するのは必至」

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ただならぬ雰囲気

【前後編の後編/前編を読む】「お二人でコロコロと笑われて…」 百合子妃と彬子さまの深い絆を物語るエピソード 一方で最期まで心を痛められていた「お身内のあつれき」

 明治以降の皇室で最高齢だった三笠宮家のご当主・百合子妃が11月15日、101歳で薨去された。お子様の親王殿下方はすでに亡く、8年前には夫の三笠宮さまも100歳で先立たれている。が、お身内では長らく確執が続き、今後のご当主選びもままならないという。

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 前編【「お二人でコロコロと笑われて…」 百合子妃と彬子さまの深い絆を物語るエピソード 一方で最期まで心を痛められていた「お身内のあつれき」】では、百合子妃と彬子(あきこ)さまの間の心温まるご関係について紹介するとともに、信子さまと彬子さまの間の長きにわたるあつれきについて報じた。

 2013年10月に料理本を出版された信子妃は、翌月には東日本大震災で被災した福島県伊達市を見舞われ、以降、ご活動を盛んにされていく。一方で彬子さまは、寛仁(ともひと)親王の薨去から3年の節目に手記を発表、以下のように記されていたのだった。

〈私自身も十年以上きちんと母と話をすることができていない。父が亡くなってからも、何度も「話し合いを」と申し出たが、代理人を通じて拒否する旨が伝えられるだけであった〉(「文藝春秋」15年7月号・以下同)

 さらに彬子さまは、

〈母に望むことは二つだけ〉

 として、信子妃にこう呼びかけられていた。

〈公務に復帰されるのであれば、今までお見守りくださった三笠宮両殿下にきちんとお目にかかり、ご無沙汰のお詫びとご報告をしてほしい。そして(中略)国民の皆様に、公務に復帰される理由をきちんと説明してほしい〉

 が、いずれも果たせないまま現在に至っているという。宮内庁関係者は、

「百合子妃殿下は生前、長期にわたる療養の理由について国民に説明するよう、信子妃殿下に求めておられたのですが、それも実現をみず、大変お気をもまれていました。寛仁親王亡き後のご当主についても、彬子女王が継がれるのが当然とお考えでしたが、この時は信子妃殿下の強い反対もあって実現しませんでした。今回、喪主を彬子女王が務められるのも、百合子妃殿下のご希望であったことは疑うべくもありません」

「あつれきが表面化するのは必至」

 信子妃は11月15日に三笠宮邸を弔問されながら、その後の儀式は欠席されており、

「妃殿下は寛仁親王の時だけでなく、16年の三笠宮殿下の葬儀、そして一昨年に営まれた寛仁親王の十年式年祭『墓所祭』も欠席されています。26日の百合子妃の『斂葬(れんそう)の儀』(一般の葬儀にあたる)にも参列なさることはありませんでした」(先の関係者)

 というのだが、

「今後は次期ご当主を巡って、再びあつれきが表面化するのは必至です。当の信子妃殿下は、今後も引き続き宮内庁分庁舎に住まわれるおつもりですが、それでも形式上とはいえ、彬子女王を当主とする傘の下に収まるなど、気位の高い妃殿下が承諾なさるとは到底考えられません」(同)

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