ばったり会った漫画家「水木しげる」がいきなりの一言 元アシスタント「つげ義春」が驚愕した最後の会話

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 水木しげる(本名・武良茂)さんの生誕100周年を記念したアニメ映画「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」(2023年11月公開)が現在もヒットを続ける中、今年も水木さんの命日である11月30日を迎えた。水木さんが名誉市民となっている東京都調布市と鳥取県境港市の「水木しげる記念館」では、命日およびその前後を「ゲゲゲ忌」と称して毎年さまざまなイベントを開催している。

 鬼太郎の“生みの親”である水木さんが93歳で大往生を遂げたのは2015年のこと。生前に「大好きだ」と公言して憚らなかったのは、お金と睡眠と豪華な食事だったという。実は「元スタッフ」だった漫画家のつげ義春氏と池上遼一氏、評論家の呉智英氏が当時のエピソードを振り返りつつ、稀代の名作家の素顔を語った。

(「週刊新潮」2015年12月10日号「93歳で大往生「水木しげる」が大好きだったお金と睡眠と豪華な食事」を再編集しました)

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空爆で左腕を失い、紙芝居作家からスタート

 11月11日、水木氏は東京・調布市の自宅で転んで頭を強打し、硬膜下血腫のため、緊急手術を余儀なくされた。だが、結局、30日に多臓器不全により、息を引き取ったのである。

 ある編集者がこう話す。

「今夏、ご自宅に伺うと、水木先生は、スタッフの肩を借りながら応接間まで歩いてこられた。昨年末に心筋梗塞で入院され、心配していたのですが、ずいぶんお元気になっていました。手土産にこしあん入りのお餅を持っていったときも、ペロッと平らげ、食欲も相変わらずだったのですが……」

 あらためて、水木氏の経歴を辿ってみると、1922年に大阪で誕生し、間もなく、鳥取県境港市に移っている。21歳のときに召集され、激戦地ニューブリテン島のラバウルに出征。空爆で左腕を失いながらも、終戦に伴い、24歳で復員する。その後、水木しげるのペンネームで、紙芝居作家からスタートし、65年には、「週刊少年マガジン」で、“鬼太郎”の連載を開始。その後、テレビアニメ化され、大ヒットとなったのはご存じの通りだ。

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