「怒れる若者なんかよりネコのほうが賢い」 養老先生が感情的にならない理由とは?
斎藤元彦兵庫県知事の再選は大きな驚きを持って受け止められた。その推進力となったのがXをはじめとしたSNSであることは各方面で指摘されている通りだ。
斎藤知事に関しては、「疑惑」が報じられてしばらくはネット上でも批判的な意見がほとんどを占めていたが、辞職して一人街頭に立つ姿を発信するようになってから徐々に応援の声が増えていき、さらに「知事ははめられた」という説が広がるようになっていった。
もっとも、当選の前も後も両極端の見方を示す人が存在するのは確かで、反・斎藤派の人にとって今回の結果は許しがたいもののようである。
社会問題、主に政治関連のテーマで、立場が異なる人たちがののしり合う光景はすでにネット上ではおなじみのものだろう。日常生活ではあまり見られないような激しい言葉、心無い表現を用いる人も珍しくない。著名人であれば、「この人ってこんな人だっけ?」というネガティブな反応を招くことも多々ある。
『バカの壁』で知られる養老孟司さんは、自分自身ではSNSの類を一切やっていない。ネット上で過激な発言をしている人を見ると、「無駄に敵を作っている」と感じるのだという。
新著『人生の壁』では、その種の争いごとから一歩身を引いて生きることを勧めている。そのほうが幸せに近づけるのだ、と。以下、同書から見てみよう(以下、同書をもとに再構成しました)。
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無駄に敵を作る人
何かにつけて怒りっぽい人がいます。他人から見ると小さな問題であっても、見過ごせないようです。
その結果としてSNS上などで結構「炎上」していることもあります。私は基本的にそういう話には関わらないようにしています。彼らが無駄に敵を作っているように見えるのです。
そもそも、いつも誰かに文句を言っているというのは、幸せな人とは思えません。
儒教の伝統的な教えに「修身(しゅうしん)・斉家(せいか)・治国(ちこく)・平天下(へいてんか)」があります。己の身を修めて律し、家を整え、国を治め、天下が平和になる、ということです。自分の思うようにしても矩(のり)を踰(こ)えない。つまり世間の規範から外れない、人に迷惑をかけない。
その修身ができていないのに「あいつが悪い」「これが悪い」などと言っても仕方がありません。本当に自分が幸せな状態とはどういうものか、わかっていない人が多いのではないでしょうか。
ネコのほうがヒトより賢い
「自分自身の心の置き場、心地よい場所」で暮らすことが自分自身の精神にも良いはずなのですが、つい別のほうに頭を使って、不満やストレスを抱えている人がいかに多いことか。わざわざ面倒なことに首を突っ込み、腹を立てている。
その点、よほどネコのほうが賢いのではないでしょうか。自分にとって一番気持ちのいい状況に身を置くようにしています。それを見つけたらひたすら寝転んでいる。
正反対が政治家です。常にある意味で「上から目線」で物を考えている。地球温暖化がどうだ、SDGsがどうだ、と常に大きな話ばかりしている。結局、日常から切り離された思考におちいっているのです。
その傾向は政治家に限らず、日本全体に浸透してしまっています。一体、どういう状況が一番いいのか、安定しているのか、国民が幸せなのか。政治家にせよ、一般国民にせよ、このことを真剣に考えていないのではないでしょうか。
それでいて、目の前にある個々のことにはいちいち反応したり、怒ったりする。怪(け)しからんと持論を発信して、喧嘩になる。もちろん、積極的に発信するもしないも、それぞれの人の考えで構わないのですが、私自身はあまりSNSでの発言などを追わないようにしています。
私の言っていることには、「炎上」してもおかしくないものも多いそうです。でも幸い、そういう事態にはあまりなっていません。SNSをあまり見ないから気づかないだけかもしれませんが、個人を攻撃するような物言いをしないのが理由なのかもしれない、と思います。
社会問題について感情的にならない
基本的に、怒って物を言うことはしないようにしているのです。感情的にならないようにしている、と言ってもいいでしょう。
社会問題については感情的になることが間違っている。
これが私の基本の考えです。
社会問題というのは単なる事実です。もちろんその重みは人によって異なるわけですが、議論するにあたって感情を持ち込んでも仕方がない。
社会問題については怒っている人のほうが、問題意識が高く真面目なように思われるのかもしれません。しかし私はまったくそう思いません。
それどころか、感情の熱量を上げることは、解決にはつながらないと思っています。これは年寄りになったからではなくて、若い頃からです。
「怒れる若者」なんてフレーズを聞いても「勝手に怒れ」くらいにしか思えませんでした。怒っている人の話を冷静に聞いていると、がっかりされたり、あるいはこちらにまで怒りが向けられたりすることもあります。そんなことはしょっちゅうでした。
しかし、その人が怒っているのは問題が解決していないからです。そしてシンプルな正解、解決法があればそもそももう解決に至っている。何らかの事情や理由があってそうなっていないから大変なのです。それについて、感情的になっても事態は別にいい方向に進みません。
若い時はどうしてもエネルギーが有り余っているので感情的にもなりやすいし、フラストレーションも抱えやすい。
若くて体力があるから大抵は乗り越えられるのですが、それで日常生活が乱れてしまうと、時には病気になってしまう。大事なのは日常生活の維持を意識しておくことです。食事をする、体を動かす、普通に仕事をする。社会人にとっては仕事も日常の一部でしょう。
もちろん極端に理不尽な目に遭っているとか、犯罪の被害に遭ったとかそういう特殊な場合は怒りをおぼえて当然ですが、多くの人は、こういうあまり大きな怒りを抱えないほうがいいのではないでしょうか。